PAST ACTIVITY
カウンセリングの中でときどき出る質問に「私って変ですか?」に類する質問があります。質問者の意図は周囲の人と自分の価値観や解釈が違うということが頻繁にあって、周囲と異なる自分の方がおかしいのかと疑い、周囲と自分のどちらに真実があるか回答を求めてのものです。
例1) 幼稚園に通う子どものお弁当を手作りしているお母さん、毎朝早起きして作っていたら、ある時子どもの友達のお母さんに「電子レンジで愛情込めて、チン!よ。そんな早起きする必要なんてないわよ。まだ味がわかる年じゃなし…。」と言われたそうです。 「子どもの味覚は幼児の頃につくられると聞いたし、自分の手作りしたものを食べさせたくて作っていましたが、私が変なのでしょうか?確かに、大半の人が『電子レンジでチン』なのです。」
例2)職員室で同僚と意見が合わないある先生。「職員室の他の先生方はB男が悪いというけど、私は彼は本当は優しい子で指導の仕方で変われると思うのです。同僚教師達に、いちいちそんなことに気を遣っている私がおかしいと言われたのですが、私って変ですか?」
などなど。
ではここで私からの質問です。
「変」てなんですか?
人と違うことですか?
違ってはいけませんか?
「人と違う」人ってどういう人ですか?
普通の人?
普通って何ですか?
ところで、最近ある若い女性がこんなことを話してくれました。 彼女は私が紹介したワークショップに参加し、そこでの感想を話してくれたのです。彼女曰(いわ)く、 「ワークショップには大本さんみたいな人がいっぱいいて安心した。」 (大本「?????…ど、どういうこと?」)
「私がお菓子ばっかり食べていたら(彼女は摂食障害で通常の食事が摂れません)、先生が『いいの、いいの、この人は自分でわかってやってるんだから放っておいて』と他の人に言ってくれて、他の人も「あ、そう」という感じでラクだった。もしいちいち説明しなくちゃならなかったら、説明しているうちにだんだんと、みんなと一緒に食べられない私はダメな人だー、と自己否定しちゃいそうになっちゃうけど、そうならずにすんだ。」
さらに続けて,「セレニティに行くと、大本さんがちょっと変わってるじゃない。で、私も、変わっててもいいんだって安心できるし、ワークショップはさすが大本さんのお薦めだけあって、変な人ばっかだったから、よかった!」とうれしそう。 一応、この場合の「変」は褒め言葉だと思って喜んでしまったのですが…。うん?「私って、そんなに変かなあ?」
レインボーホームの子供31人のうち、12人の子ども達が《囲碁》をしています。 日本でも囲碁ブームだそうですが、囲碁は本当に面白いゲームですね。
ホームで囲碁をやり始めたのは、去年、日本領事館の新年会の席で領事さんから「レインボーの子ども達にも囲碁を習わせたらどうですか?」というお誘いを受けたことがきっかけでした。そのお誘いにボランティアの女性が共感して下さり、毎週日曜日、領事さんのお宅まで囲碁を習いに通わせてくれました。あれから1年半過ぎました。
領事さんは囲碁の基本的ルールから石を並べるテクニックとタイミング、白と黒の石の配列をどのように見てどのように判断するかまで、徹底的に教えて下さいました。
…………
囲碁を知らない方に、簡単にどのようなゲームかをお伝えします。 囲碁の盤は9路盤から13路盤、15路盤、19路盤があります。 黒が先攻白が後攻となりますが、白と黒、どちらが多くのエリアを獲得出来たかにより、勝敗が決まります。 小さな石と石が手をつなぎ合わせて、領土を確保するというゲームです。 そして良い囲碁というのは、大差で勝敗が決まる囲碁ではなく、1目差で決まる囲碁が素晴らしいゲームだと言えます。
囲碁をやり慣れている人は分かると思いますが、大差ゲームというのは勝った方も負けた方も、あまり面白くありません。 1目差のゲームは最後まで知恵と知恵の出し合い探り合いで、エリアを数えあげる最後の瞬間まで勝敗の結果はわかりません。 そして数え終わって勝敗が決まった後『お互い良い囲碁を打つ事が出来ましたね!有り難うございました。』 という晴れ晴れした感覚で終わる事ができます。
囲碁で大きい19路盤になるほど、全体を見てイメージでどのように展開していくか?という感覚で判断します。 そして石を置く場所とタイミング、それにより黒と白の織りなす全体のデザインが決まってきて、まさに芸術的とも言えると思います。 それを2人の共同作業で作り出していくドラマが展開されていきます。 囲碁の漫画もそのような感じで書かれているんじゃないですか?
…………
12人の子供は日曜日の囲碁教室以外にも、毎日1時間、やりたがっている子に、囲碁の出来る時間を割り当てています。 その対戦相手は実力差に応じて私が決めたり、子供同士が話し合って決めたりします。 10才の女の子が2人、9才の女の子1人、8才の男の子が3人、あとは7才の女の子1人、男の子5人という構成になっています。
大きい子達は良いゲームとはどういうゲームかという事を知っていますから、 面白いゲームをするのに一生懸命です。 そして大きい子がやり慣れていない子に、ティーチングゲームと言って、 囲碁を打ちながら教えるというゲームもやらせています。
これが、時には喧嘩、時にはふざけてゲームどころではない時もしょっちゅうですから、私が毎日、囲碁時間には立ち会っています。 それに私も子ども達と囲碁を打ちます。 これが子供の性格や特徴を判断するには良いようで、すぐに飽きる子、飽きない子。集中力の有る子や無い子。短気な子、呑気な子。忍耐心、好奇心、持続力などゲームの中から感じる事ができます。 勿論、私自身の特徴についてもですが。 大人が子供に負けた時はさすがに悔しいです。12人のうち4人は間いなく私より強いですし、子供が私に打ち方を教えてくれたりします。 これを大人の私が素直に聞く事ができるか、対応する事が出来るかにより、私自身の肝の大きさ、愛情の深さが判断できるようです。
初めの頃は子供に負けるのが嫌で私も一生懸命囲碁を打ちましたが、 子供の吸収力のスピードはとても速いので、なかなか強い子に追いつく事ができません。 負けて「コンニャロ~」と思う事が何度もありました。 ですけど最近は、子供達が囲碁の打ち方以外に、考える事の大切さ、 冷静に全体を見て自分の行動を判断するという習慣が身に付きつつある事に、喜びを感じています。 ですから囲碁で負けても嫌な感覚よりは、子供の成長に喜びを感じ事のできる大人になりつつあります。 子供の成長に合わせて親も成長する事の出来る遊びとして、囲碁はとても良いゲームだと思います。
(NPO法人「レインボー・ホーム」孤児の家カルカッタ駐在員)
<パパの似顔絵>
先だって、父の日のイベントとして幼稚園で父親参観日がありました。 それにむけて約2週間、「パパの似顔絵」を作成していた事は知っていましたので、夫とどんな絵ができてくるのかなと話していました。
K(お子さんの名前…編注)はいままで、絵をかくことを積極的にしない子供で、描いてもなんだかわからない絵をかいていましたので、2人ともあまり期待していませんでした。
6月13日に幼稚園に送っていったとき、保育室にクラスのみんなが描いた「パパの似顔絵」が飾ってありました。私は、Kに「Kちゃんのパパの絵はどこ?」と聞いたところ指さしてくれました。 その指先を見た瞬間、とても驚きました。すごい迫力の絵だったのです。決して、うまい絵ではありませんが、「パパが大好き」という気持ちが前面に出ていて、とてもいい絵でした。うちの子が描いたとは思えないものでした。
夫も、父親参観日から帰ってきて、「俺って、あんな顔しているか」とは言っていましたが、「あの絵はいつ返してくれるのかな」とまんざらではない様子で言っていました。 気持ちのこもった絵とは、こんなに存在感のあるものかと気づかされました。
<笑い話>
先日の家での笑い話です。
私が車の中のラジオで聞いた話ですが、武田鉄也さんが金八先生の中で(私はあまり好きではないのでほとんど見たことはありませんが)、「親」という文字は「木の上で立って見る」と書くのだと言ってたそうです。単純な私は非常に感動しました。 家に帰ってから、K子(奥さん)に「親」という文字の由来を知っているかと尋ねたところ、案の定知りませんでした。そこで、自慢げに「木の上で立って見ると書くんだよ。」と言ってやったところ、「それで?」と言い返されてしまいました。
「………」
お後がよろしいようで!
*****
<大本のコメント>
最近、「子育て勉強会」では、しばしば女性と男性の育児に対するスタンスの違いが話題になります。子どもに細かい注意を払うお母さん。遠くから見守るスタンスのお父さん。男性と女性の関わり方の違いが、いろいろな意見の相違や感じ方の違いになり、誤解やすれ違いもあると気づいてきました。どちらの関わり方も大事ですね。
「遠くから見守るためにも、一度はそばで子どもを細かく見てやってほしいのよ。お父さーん、木から下りてきてよー!」がお母さんのホンネかもしれませんね。
それは私の中学生の時代にまでさかのぼります。私とある生徒との関わり合いであります。話の都合上ある生徒をA君ということにします。 A君とは私の田舎にあるいわゆる「部落民」の子どもでした。小学生の頃から警察に世話をかけるような事をするありさまで、学校でも先生方からも嫌われる始末でした。もちろんA君は学校に出てくれば、勉強どころではなく手当たり次第に周りの生徒達にいたずらをして手のつけられないありさまでした。街のチンピラややくざに部落の人達が比較的に多くいたので、学校やおとな達は当たらず触らず腫れ物に触るようにしていました。いわゆる仕返しが恐くて、たとえ悪いことをしていても見て見ぬ振りをしているのでした。
街の中で何か悪いことが起こると何の証拠もないのに「部落の人がやったのだ」というのが常でありました。「部落の人」とは「悪人」の代名詞として大人達は使っていたのです。そのような田舎町の学校の中におけるA君の存在が、周りにどのような感情を起こさせていたか推して知るべしです。 A君が廊下を通ると、すれ違う生徒達は関わりたくないので広い廊下の端っこにへばりつくようにして顔を下に向けてそっとすれ違うのです。A君が通り過ぎると急に早足で一時でも早く、A君から遠ざかろうとするのでした。そうした周りの様子はA君の心に良い思いを引き起こすことはなかったと思います。
ときどきは感情を爆発させてそうした生徒を追いかけていって、さんざんにいじめたりしました。そのときのA君の言い分は「何もしていないのになぜ逃げたりしたのだ。お前に何を悪いことをしたというのだ。」と言い寄ることからいじめが始まるのでした。そうした時はいじめも徹底していました。とても見ていられるものではありませんでした。子どもができるようなものではありませんでした。他の生徒達は遠巻きにして、その成り行きをジッと見ているだけでした。そうした光景は周りの生徒たちにいっそう恐怖心を植え付けるのに大きな効果があるのでした。 虫の居所が悪いと教科書の入っているカバンを雨の降っている外へ投げ出してしまうのです。また鉛筆を手当たり次第に折ってしまったり、教科書や帳面を破いたり、鉛筆を削るカミソリで学生服を切り裂いたり、女の子の髪の毛を切ったり、椅子は投げるは、掃除用のバケツに水を汲んできて生徒たちに振りかけたり、床掃除をした泥だらけの雑巾で生徒たちの服を拭いて汚したり、数えあげれば限りがありません。また、そうしたA君に付き従う子分どもが十数人、それらが一緒になっていたずらし放題、暴れ放題といったありさまでした。そのような毎日では学校へ行くのがどんな思いであったか想像していただけると思います。
A君とは小学生時代から同じ学校で同じクラスで、机を並べて数年間を過ごしました。授業時間であってもいっこうにいたずらがやまないのです。席を並べている私がその対象となるのですから、私がどんな思いであったか想像するも難しいことではないでしょう。しかし、中学生になれば別のクラスになると期待していたのですが、神様のいたずらか、また同じクラスで、その上、席を並べることになってしまいました。
<中学生になって>
中学生になってからA君にかすかに変化があらわれてきました。中学生になってから毎日のように宿題が出され、次の日の朝、帳面を先生のところへ提出し、チェックされるのです。もし、間違えていたりやってこなかったりした生徒たちは全員放課後残されるのです。そしてまた宿題を出され、できた生徒から順番に家へ帰すのです。これにはさすがのA君もこたえたのでしょうか?単なるいじめだけでなく「宿題の答えをこの帳面に書け!」と生徒たちに言うようになってきました。しかし、今までが今までですから、生徒たちは逃げてしまいます。そして、クラスの中で気の弱く要領の悪い生徒が捕まり、いやがおうでも自分のやってきた宿題をA君の帳面に書き写すことになりました。しかし毎日同じ生徒に書かすというわけにはいきませんでした。毎日のように朝は宿題のことで大騒ぎでした。
そのうちに私のところへやってくる日が来ました。A君はいつものように「帳面に宿題を書け!」と私に迫りました。恐い気持ちと、言うままに書き写すのは悔しいと言う気持ちとで返事もできないでいると、再び「帳面に宿題を書け!」と迫ってきました。意を決して「見せるから自分で書け!」と言いました。「なんだ!書かないのか?」とすごみ、脅しにかかりました。「見せるから自分で書きなさい!」と繰り返し言い返しました。他の人たちに散々に逃げられてのことでしたので、私にも逃げられたら困ると思ったのでしょうか、「書くから見せろ!」と言って自分の席に座りました。
意外な反応に私は驚きました。自分で書くと言って席に座った以上、見せないわけにいきませんでした。素直に自分で書き写し始めました。書き写しの間違いがないようにと見ていると何の意味もわからずに書き写していると感じました。その日はそれで無事終わりました。次の日も一騒ぎしたあとで再び私のところへやってきました。そんな日が何日も続きました。 次第に朝私の顔を見ると、他の人たちを当てにしないですぐに来て「宿題!」と言って書き写すようになりました。そのうちに私の心の内に、ただ見せているだけでは我慢のできない気持ちがはっきりとしてきました。
ある日思い切って帳面を見せないで「わからないところは教えるから宿題を一緒に考えてみよう!」と言いました。「めんどくさいから帳面を見せろ!」「教えるから一緒に考えよう。」と二、三度押し問答をした後で、「本当に教えるか?」「教える。」「じゃあ、教えろ!」ということになってしまいました。 これも私にとって意外なことでした。「教える」と言ってしまった以上教えないわけにはいきません。そこで宿題の問題を読み、私なりに要点を説明したのです。「そんな難しいことわからない。もっとわかるように説明しろ!」 そこで「これはわかりますか?これはわかる?」と、どの程度までわかるのか聞き正したのです。その日はちょうど数学の宿題の日でした。後になって思ったことでしたが、そのときの私の質問はA君にとってどんな辛い思いをさせたか、計り知れないものであったと思います。にもかかわらず私の質問に正直に返事をしたということは、A君の気持ちには並々ならぬ思いがあったということではないでしょうか。
わかった事実は一桁の足し算はどうにかわかるが、それ以外何もわからないということでした。あまりのことに一瞬言葉に詰まってしまいました。「わかっていることを使って少しずつ難しいことを覚えていこう。」と言いました。「わかりやすく教えろ!」「うん、わかった。」 こうしてA君とのつきあいが始まったのです。教え始めてわかったことですが、覚えようとするその真剣さに私が逆に引きずり込まれていくのを感じないではいられませんでした。勉強とはまったく無縁とさえ思えたA君の今までの暴れ放題の姿から、誰が想像することができたでしょうか。
<数ヶ月が過ぎて>
そうして数ヶ月が過ぎていきました。私のひいき目のせいでしょうか。心なしかA君のいじめよう、暴れようが以前とは違ってきたような気がしてきました。子どもらしからぬ陰険さが少しなくなってきたような気がしてきました。そして私への嫌がらせはまったくなくなりました。逆に、掃除の時など私に「お前は今日は掃除をしなくてよい、みんなの監督をしていろ!」とA君なりに私への気持ちを表そうとしているのです。私を大切に思っている気持ちを、そのようなことで表そうとしているのです。私はA君の私への気持ちを感じて、私の心の内に嬉しさと戸惑いを感じるのでした。A君の素朴ではあるが率直な表現に魅力さえ感じるようになりました。 教える私にも、覚えようとするA君にも熱が入り、授業時間にも二人だけの勉強に夢中になり「さっきからゴソゴソと余分なお喋りをして、うるさい!廊下に立っていなさい!」とときどき先生に怒られたりしました。
二人の勉強はそんなことぐらいでは止まるものではありませんでした。数学は整数の加減乗除、分数の加減乗除、小数点のある加減乗除、さらに難しい問題へと進んでいきました。
<二年生へ>
そして一年から二年へと月日も過ぎていきました。次第に、私が見て目に余るいじめや乱暴には私が「やめなさいよ!」と言うとやめるようにもなってきました。親しく二人でふざけあうようにもなりました。またわからないことや疑問に思ったことがあると、A君のほうから質問もするようになってきました。
二年になってから一段と難しいことを覚えるようになってきました。すると覚えることが嬉しいのでしょう、クラスで勉強ができない生徒のところへ行って「お前この問題ができるか?」と聞きに行くのです。そして「おれはできるぞ!」と言って得意満面なのです。嬉しさをそのような仕方でしか表現できないのです。しかし、その嬉しそうな顔を見ていると私までが嬉しくなってきました。 しかし一度も私に向かって、ありがとう、と言ったことがありません。(こんな事を言ったからとて、お礼を言ってもらいたいから一緒に勉強をしていたわけではありません。誤解をしないでください。) A君はおそらく今まで他人にお礼を言ったり、感謝したりするようなつきあいがなかったのでしょう。そうした気持ちを外へ表すのにとまどいや、また気恥ずかしさがあるのが私にはよく感じとれました。 A君の気持ちの動きが私によくわかるようになってきました。本当に不思議なことです。そのようになってきた頃から、勉強にも熱が入り、また覚えるのも早くなってきました。(あと1年間あれば並の成績で充分に卒業することができたのに!と何度思ったかしれません。)
<二年生の終わりに>
そうして、いよいよ二年も終わりに近くなったある日、いつもと同じように二人で勉強をしていました。勉強が一区切りついたとき、突然A君が真剣な顔で話し始めたのです。A君の気持ちが手に取るようにわかる話に、私は感動してしまいました。言葉も失い、身じろぎもできず、息をすることも忘れてしまったようにA君の話に引き込まれてしまいました。その感動すべき話を今となっては、とてもA君のようには再現することはできません。要点を羅列するならば次のようなことでした。
勉強のできるような生い立ちではなかったこと。勉強を何とかしようと思ったときはすでに遅く、学校の勉強は難しくてわからずついて行けなかったこと。 そして、「そんな自分に誰も手を貸してくれないし、先生も授業について行けないことを知っていても何もしてくれなかった。自分だって“勉強ができるようになりたい”という気持ちはある。勉強ができなくて皆の前で恥をかかされ、馬鹿にされることなどいやだ。クラスの生徒、学校も先生もこうした気持ちなど誰もわかってくれないし、わかろうともしない。結局は誰も自分のことだけしか考えていないのだ。勉強のできる生徒にはチヤホヤするが、勉強のできない生徒がいても知らん顔なのだ。学校は生徒に勉強を教えるところではないのか? 生徒は生徒で勉強の成績の良い者同士が集まって仲良くし、勉強の成績の悪い者が中に入ろうとすればうさんくさい顔をして離れていく。そうした生徒達の姿が腹立たしいのだ。だから勉強のできないように邪魔をしてやりたくなるのだ。学校に来て暴れたくなるのだ。やりたくてやっているのではない。嬉しくて、楽しくて、暴れたりいじめたりしていると思うか?先生に告げ口され、怒られ罰を受けることになるのがわかっていて、どうして喜んで暴れたりいたずらをしたりできるものか。 しかし、君は違った!今までに君一人だけだ。本当に親身になって、真剣に勉強を教えてくれたのは!それも何もわからない自分にわかるように教えてくれたのは!ここまで勉強ができるようになったのは君のおかげだ!本当にありがとう!」と涙ながらに話してくださいました。
私の手を取り堅く握り「ありがとう!ありがとう!」と繰り返し言うのでした。先生にどんなに厳しく叱られても決して涙など見せたことがないA君が流れる涙を拭こうともしないで心の内を語ってくれました。その姿は今までの暴れん坊の姿とはまったく別人でした。感動のあまり言葉が何も出ませんでした。私も手を堅く握り返すのが精一杯でした。それだけでA君に私の気持ちが伝わったと思います。
話し終え涙を拭くと爽やかな顔になり、にっこりとしました。その笑顔は本当に美しく感じました。あの笑顔ほどに美しい人間の顔を未だに見たことがありません。生涯忘れることができません。私の人生観を決定的に変えた神様の顔であったとさえ思うこの頃です。 このA君の話を聞いているうちに私の心が強い光にさらされるのをどうすることもできませんでした。私も自分のことだけで他の人のことなど考えてもみなかったこと、自分以外の人を上辺だけでしか見ていなかったこと、物事に対しての見方や考え方が上辺だけ、概念だけであったことが明らかにわかってくるのでした。そして人との関わりの中で皆が生きているのだということを教えられました。
人の言動にはそれなりに必ず心の内に原因、理由があることも教えられました。自分が誠心誠意人に対すればいつか必ず相手に通じて大きな力となることも教えられました。不純な心は何の解決にもならないばかりか逆に悪の心を増大させるに力があるだけだということも教えられました。勉強の成績が良い(知識が豊富)だけでは人間の善し悪しは決められないことも教えられました。 数え上げればきりがありません。私の人生観の根本がこのA君の話の一瞬にできあがってしまったのです。以後私の人生はこの多くの教えが先生となってくれるのでした。そしてそれらの多くの教えは私の歩む人生の中で実証され、私に計り知れない勇気と自信と、真実の人間として生きることの意義と喜びを教えてくれるのでした。
今でも、汲めども尽きぬ真理を感じたりして驚くばかりです。そうした体験が重なるたびに、前記したように「A君の姿を借りて神様がいるとすれば、その神様が私に教え導いてくださった」のだとさえ思えてくるのです。 その後A君の消息はわかりません。しかし、私は年を経るにしたがってA君とのことが昨日のことのように思い出されます。私の人生に計り知れない宝物を与えてくれていることに感謝の念が強まるばかりです。
(元精神保健福祉を進める会会長/画家/書家)
(勝手ながら、紙幅の関係で一部省略させていただきました。)