PAST ACTIVITY
見渡す限りのラベンダー畑。丘の斜面一帯が薄紫色に染まっている。北海道のラベンダー畑をテレビが映し出している。訪れる観光客に自宅の広大な庭を 開放している人、何十年も花の栽培一筋に地域に根ざして暮らしてきた人など、北海道の花畑を紹介する番組を見ながら、そのスケールの大きさに圧倒される。 北海道という土地柄だろうか。そんなことを思いつつ、北海道出身の友人にメールを送った。
数日後に返ってきた友人からのメールには、
「自分の数代前(まださかのぼれるほど、少し前)のルーツが開拓者として植した人たちの子孫の集まりなので、そこがユニークです。
とくに、冬の寒さが厳しいから、土地とともに生きていくって難儀なことだっと思います。
雪が溶けて、春に土が見えると、プーンと土の香りがして、それはそれ嬉しかったですよ。
限られた時間に花いっぱいに……、みたいな気持ちになるような気がし
ます。」
訪れたことのない北海道の、土と花の香りに誘われる。
実は、北海道には六花亭という私の好きなお菓子屋さんがある。包装紙には北海道の花々をちりばめてある。帯広の地域の人を雇用し、文化ホールまで持つユニークな菓子メーカーだ。お菓子そのものはもちろんのこと、包装紙やパッケージにまで繊細な感性とほのかなユーモアが感じられる。土地の歴史や風土を 大切にしつつ、作る人自身が楽しんで作っているとしか思えない。「お菓子作りは幸せを届けること」というコンセプトがまさに浮かぶ。
そんな六花亭のお菓子に舌鼓を打ちながら思う。六花亭みたいなカウンセリングルームを作りたい。包装紙を開けたときから、包みをほどき、お菓子をいただくことを通してささやかな幸せを味わうのと同じように。音楽やゆったりとした時間が流れて、ぜいたくではないちょっとおいしいものがあって、誰もが自分自身でいられる、そんな場所。
そんなの夢?…ですか? だとしても、夢はまず見ないことには始まらないのだから、まあいいかなあと、またしてもノーテンキな私が頭をもたげてくるのです。
(セレニティ・カウンセリングルーム代表)
●大本先生こんにちは。今年の夏は、本当に暑かったですね。
この暑さの中、K(お子さん…編注)と川遊びしたり、「群馬昆虫の森」で虫を探し回ったりした結果、私は座骨神経痛から腰痛を併発し、1ヶ月間痛みと格闘してしまいました。
もう、無理がきかない年齢になってきたんだと痛感した次第です。ちょっぴりさびしくなりました。
さて、以前に、大本先生からお聞きしていた話だと記憶しているのですが、「こころのノ-ト」のことが気になっていました。うちの子供も「こころのノ-ト」 を学校からいただき、授業を受けたとのことです。2年生終了時に「こころのノ-ト」をKの書棚より抜き取って読んでみましたが、私自身は、はたと気づくこ とはさしてありませんでした。
しかしながら、セレニティ日記で「こころのノ-ト」に関する記述があり、読ませていただきました。その上で、また、「こころのノ-ト」に目を通して見る と、大本先生がおっしゃっていること(この本がもっている独特の雰囲気とでもいいますか)が、うっすらとわかりかけてきました。もし、私が小学校の時に 「こころのノ-ト」による授業を受けたとしたら、きっと、子供心に薄い透明なビニ-ルの膜の様なものでいつも覆われている空間におしこめられている様な息 苦しさを感じずにはいられなかったのではと思いました。今の日本の社会みたいですね。
それでは、失礼します。(K.S)
●土曜日は有り難う御座いました!自分の好きな所の一つ(!)…何かが起きた時に ‘どうにかなるさ’主義…で出かけました♪
初めて更年期が強く出てて、ミーティングの時も不安とホットフラッシュでやっとだったのが、帰りは何故か?すっきり(*^_^*)
駅の近くの店で、2人とも褒美に洋服を買ってきました♪
昨日も仕事で160人を招いても、自分の仕事の客への接待を無事終らす事が出来ました。
セレニティの場所は調子が悪い時も受け入れてもらえる所なのを、今までの参加で解っていたからですね♪ 自分を飾る必要も、良く見せる必要もないところだという事も!
仕事の人間関係と、会社を経営する者の重圧!この道に入ってしまった以上仕方のない事とあきらめてます!人間関係でストレスをためないよう毎日を送るつもりです! 今回は本当に有り難う御座いました!気分が 戻りました♪
帰りに買った洋服の郵送を頼んだので明日届きます♪
それを着て10月の始めに、娘と息子と友と四人でロサンゼルスに行ってきます♪ いつも頑張って働いている自分と、いつも親を大切に思ってくれている子供達へのご褒美です♪ 主人は留守番で一人寂しそうですが会社が休めません!
おいて行っちゃいます。(Y)
●自分を否定しがちな私は、今日はあらためて自分の好きなところを見つけて、心があたたかくなるのを感じました。アサーティブってすごくシンプルなことなんだな。人間関係を複雑にしているのは自分自身。アサーティブに表現すれば対人関係はずっとシンプルになるんだな、と感じました。
<後日談>感想にも書きましたが、アサーションってシンプルなんだなって、実感しました。まず、自分の意見をテーブルの上に載せてみる、そこからコミュニケーションが始まる。という大本さんの言葉は、心に響きました。ところで、トレーニングの日、さっそくそれを夫に実践。
夫「すき焼きが食べたい」
私(しゃぶしゃぶにしたいと思ってる)
いつもなら、自分の言葉を飲み込んでしまうのですが、私の意見を述べました。夫はあくまで「すき焼き!」と譲らないので、じゃってなもんで、夕食はすき焼きとしゃぶしゃぶの2種類用意しました(笑)。
小さなことかもしれませんが、ちょっと気分よいです。 (N)
J.グアテマラにて、マヤの先住民のコミュニティーを訪問するプログラムに参加しました。コミュニティでは、1960年から36年間続いた政府とゲ リラとの争いに巻き込まれ、もともと住んでいた場所を手放した、イシ族、キチェ族(マヤ)が共同で生活しています。自立した食物の栽培や、織物などを街に 売りに行くなどのプロジェクトを行っています。
そこでは各家庭に2人の日本人がホームステイをしました。
私がお世話になったのは、ラモス(Ramos)さん一家です。
お母さんのティモテア(Timotea)さん、そして4人の娘さんの6人家族でした。女性達はマヤ族独特の民族衣装ウィピルを着ていました。
織り方は民族によって異なっており、私はとても興味を惹かれました。
そこには、8歳になるセバスティアーノ(Sebastiana)ちゃんという子がいました。彼女は姉妹では一番年下で、小学校2年生の歳と思いま す。しかしそのコミュニティでは、小学校6年間のうち、家庭の経済状況により3年生までしか学校に通わず、家事やお店の手伝いをするという子供達もいます。
彼女がその後、学校に通いつづけているのかは分かりません。
この文章を書いているときに、そのときのことが思い出されてきました。
現在、私は大学院に復学し、勉学に励むため研究室にこもって(居着いて)います。1週間帰らないことも多々あります。
私に出来ることは、多くの事、とりわけ研究内容を進め、卒業することです。
勉強できるという環境がいかに大切なものか、再確認しながら研究室にて勉強をしています。
今はそれしか出来ません。
〔グアテマラの民族衣装について〕
ウィピルという、民族コミュニティごとに縫い方が異なるのものがありました。生地の色は白、緑、青、胸元には赤、黄、オレンジの色鮮やかな花の模様が縫われています。
アサガオや花火の模様をあしらった日本の浴衣を思い出しました。男性にも特有の衣装があり、幾何学的な模様を全体に縫い合わされたものです。
この衣装は私も好きになり、持ってかえってきました。
両方とも非常にきめ細かな縫い合わせになっており、手縫いというところが私はおどろきました。この衣装の作製をコミュニティの自立支援にしたプロジェクトも行われています。
織物は織物機で作られ、1日に編める長さは幅にも
よると思われるが、お話では平均して84cmだとか。
織物は12歳くらいから教わり始めるという。
しかし現在、完成した織物を出荷する市場がないという問題があります。
T-シャツ、ジーンズを着て生活をする私達は、何人(ナニジン)なのでしょうか。
私は、着るものがあるだけで十分に思いますが…。(J.O大学院生)
O君が三ヶ月ぶりに帰国して、改めて周囲を見回したとき、まず驚いたのが店頭に溢れる流行のファッションだったそうだ。「こんなに必要なの?」と。
大学に泊まり込んで研究に明け暮れる毎日のO君。持参のバッグは古着のジーンズで作った知人の手作りだった。ジーンズの腰ポケットがそのままバッグのポケットになっている。で、これがなかなかかっこいい。
(民族衣装の美しさを写真ではお伝えできないのが残念!)
今年の九月にインドに行った。今回の旅の目的はいくつかあったが、前々から興味があった心の構造、特に「孤独という感情はどのようにしておこるの か?」についてチベット人の坊様にいろいろ訪ねて見たいというのもその一つだった。私はとても寂しがり屋で、人がいてもいなくても心のどこかにいつも不安 や孤独な気持ちがあった。それが私をいつも苦しめていて、どうすれば心が楽になるのだろうといつも考えていた。
そんなわけでチベット亡命政府がある町であるダラムサラの坊様のもとに向かった。道中いろいろあったが無事に坊様のもとについた。
私は、聞いた。
「なぜ人は孤独を感じるのですか?」と。
坊様の言うことにゃ、
「人は本来一人ではない。すべてのものが互いに関係しあって成り立っている。もしあなたが一人だと感じるならそれは心が閉じているからだよ。孤独になったときは世界の人々のことを想像してみてください。よりクリアに想像できたならあなたの孤独は癒えるはずだよ(^□^)」
頭ではなんとなくわかっていたが、力強くやさしくそして論理的に話してくれる坊様に私は納得できた。今の日本では社会の構造が物質主義になっていてわかりにくくはなっているが、我々は確かにお互いに繋がりあって生きている。
そのことを再確認した。
そのあと、さらにヒマラヤの麓にあるレーと
いう町に向かった。
そこでチベット人の家に三日ほど泊った。
ここでもハッとさせられる出来事があった。
その家の子供はとても素直な子で、他人のために働くことをとても喜んだ。私を喜ばせようと面白い話をしてくれたり、遊ぼうとさそったり、食事の世話をしてくれたりといろいろなことをしてくれた。私はこの子(チョーヤン)のこの姿にとても癒された。これほど他人のためにつくすことができるとはすごい。
と同時に、昔の自分をチョーヤンに重ねて思い出していた。
そういえば自分も昔は誰かのために働くことをとても喜んでいた。
今まであまり自分のことが好きでなかった私は、自分の素敵なところを発見し、とてもうれしくなった。
日本に帰ってきてから「孤独」というものについてもう一度考えた。そしたら友達がいなくて、ひとりでいることがそれほど嫌じゃない自分がいた。無理をしてつまらない友達といるよりも、ひとりでいることの方がはるかに楽しい。それは自分の世界を持ち、広げることができるから。
むしろ自分がいちばんつらく、嫌だと思うことは、友達と離れて、ひとりでいる自分のことを、「変わった奴」、「暗い奴」、「嫌われている奴」などというイメージで見られることの方が辛い。日本では孤独というものに嫌なイメージや先入観がある。しかし、孤独ということに関して考察してみれば決して悪いものではないのだ。
自分の孤独に耐えられるということは、自分で自分を認めることができるということ。そして自分を自分で認められるということは自分を愛することができるということだ。
『孤独』でいることのできる人どうしの人間関係は、とても自由で、柔軟だ。他人の視線はあまり気にならないし、他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもない。他人とのほんとうの『つながり』に開かれた生き方だと思う。 (学生)
君が平和であるということとは
自分を攻撃しないこと
自分を力ずくで何かに従わせないこと
自分を罰しないこと
自分を監視しないこと
自分をだまさないこと
つまり、君自身に対するあらゆる暴力を放棄することに他ならない
心に軍隊も警察も裁判所も監獄もスパイも必要ない
こんなろくでなしどもは、追い出すのがよい
そんなことしたら、自分が身勝手なならず者になってしまわないかって?
いいかい。軍隊や警察やらといった連中の仕事は、君を誰か他の人が決めたルールに従わせることだ。それは、良心とは言わない。
良心っていうのは、君自身の中にあって、君だけが触れられるものなんだ。
だから、君と君の良心を守るために、
ろくでなしどもの代わりに五人の守護者を招き入れるとよい
彼らの名は、理性、優しさ、正義、協調そして自由という
彼らは、君が思慮深くあり、君がすべての命を慈しみ、
君が(君にとっての)正しい道を選び、
君が孤立するのを防ぎ、君が君であることを楽しむのを助けてくれるだろう
彼らを完全に君のものにしたとき、君は平和そのものになる
「ちょっと伺いますが、そちらでは不登校の子どもの受け入れはやっていらっしゃいますか?」
受話器を取ると、歯切れの良い女性の声が飛び込んできた。
「不登校の子どもを預かってくれる所を探しているんです。」
ためらいのないハッキリした口調。中学生の娘さんの不登校で、預ける施設を探しているお母さま。こちらのカウンセリングルームは相談のみであることを告げる。
「そうですか」と、一瞬ガッカリされた様子の後、気を取り直したように勢いのある言葉が続く。
「カウンセリングはもういいんです。学校から紹介された所で何回か受けましたけど、効果ありませんでしたから。と言うより、前より悪くなったって言うか…。」
不登校の上に、外泊も始まって、いっさい母親の言葉に耳を貸さないとこぼされる。
今日のこの電話までに、お母さまは随分ご苦労されたのだろうな。もしかしたらずっと一人で対処してこられたのかもしれない。パワフルな口調には、や るべきことをやってきたという自負と、そして、だからこそ残された手段は施設に入れるしかないと堅く心に決めている様子が感じられる。
「私が何を言ってもダメなので、第三者に言ってもらったら少しは聞くのではないか」
「とにかく普通に生活して、学校に行ってくれればいいんです。」
「普通に生活して、学校に行く」………それが目標だとすると…難しいなあ。嘆息。
しかし同時に、お母さまの焦りもよ~く理解できる。かつての私も子どものトラブルで困ったときは、焦ったり、自分が何とかしなくてはと追い込まれたり…。お母さまへの支援があればと思う。
親子のコミュニケーションに関して、こちらでお手伝いできそうな支援内容についてご案内する。
すると、私の言葉が一区切りするのを待ちかねたように、
「わかりました。どうも、お邪魔しました。」
いらだちを抑えながら、早口で電話は切られた。
受話器を置いてもしばらくの間、女性の声が耳元から離れない。
本人が納得しないまま施設に入れれば、親子の溝はさらに深まってしまうだろう。
子どもは見捨てられたと感じてしまうかもしれない。
良かれと思ってしたことが、逆効果になってしまわなければよいけれど…。
もっと良い電話の応答はなかっただろうか。
いやいや、まだカウンセリングは始まっていないのだからそんなに考え込む必要はない。……
などなど、私の心は晴れないまま、仕事の手が止まっている。
親子の間に通い合う言葉が持てるようになること、それがまず最初だと思う。
「普通の生活」って?
「学校へ行く」って?
そんな話題で親子が話せるようになったらと思う。
親子のコミュニケーション以上に大事なことがあるだろうか。
電話を受けながら私の頭に浮かんでいたのは、中学生の女の子のことだった。心は家族のそばにいたいのに、心とは裏腹に家族から離れていこうとしている。そんな彼女の淋しそうな背中が見える気がした。
私は目を閉じて、ゆっくり深呼吸をする。
中学生のお嬢さんが一日も早くいきいきとした自分を取り戻せますように…。
そして、お母さまにも、一日も早くお嬢さんと笑いあえる日が来ますように…。
(大本)