PAST ACTIVITY
もしこれが、いままでに一度も
見たことがなかったものだとしたら?
もし、これを二度とふたたび
見ることができないとしたら?
レイチェル・カーソン The Sense of Wonder
ここ数年、耳にするようになったKY(空気が読めない(人))という言葉。周りへの配慮は大事だとしても、いつも周囲の状況ばかり気にしているのも望ましいことではないと思うので、KYといって揶揄する言葉にはどうもなじめないでいます。そんなKYですが、もしかしたら私にもその傾向があるかもしれないと、今頃になって気づいたのです。
発端は、昔の、ある出来事を思い出していたときに、「空気が読めないとはこれのことなんだ!」と、ハタと気づいたことによります(それが何だったかは、ここではパス)。つまり、そうやって気づくまでに、空気が読めないまま、あちこちで、もしかしたら周囲の人に違和感を抱かせていたのかもしれないということです(おそろしい~)。
さて、気づき始めると、あの時のアレ、この時のコレ…と、KYらしきいろいろな場面が思い起こされてきます。それは数ヶ月前だったり、何年も前だったり。いくつもあって、ちょっとビックリです(今までご迷惑をお掛けしたかもしれない皆さん、ごめんなさい)。昔から気が利かないと言われたことはちょくちょくありましたが、それもKYの兆候だったのでしょうか。
KYは意図してやっているわけではないので修正は至難の業。ならば、せめてちゃんと自分の思ったことを伝え、相手の話をちゃんと聞かねば。改めてそう思っています。言葉の力を借りて、空気の読めなさを補うことができればと思います。たとえ拙くても、言葉に気持ちを込めて丁寧にと…(これがまた、なかなか難しい)。
アサーション・トレーニングやカウンセリングといった仕事に携わっているのも、「伝えること」「聞く(聴く)こと」を、誰よりも私自身が必要とし、重要なことと思っているからなのかもしれません。
ほどほどに空気を読み、ほどほどにマイペース……となりたいものですが、またどこかでKYをやっていたらゴメンナサイ。先に謝っちゃいます。
(セレニティ・カウンセリングルーム代表)
●大本さん、ご無沙汰しています。いつもメールを頂きながら、返信もせず、失礼しました。今は、夏休み中で少し余裕があります。先送りしてきた部屋の片付けなどをしています。
昔(そんな気持ちです)、全く余裕というものを知らずに育てた二人の息子は高校生になりました。
それで、高1の子の現代国語の教科書を見ていました。自分が子供のころ、教科書をもらうと、もしくは買うと、国語の教科書だけは、すぐに中身を読んだことを思い出しました。
息子の教科書の中で、気に入ったものを紹介します。
『材のいのち』(幸田 文)の文章の中からです。
(略)法隆寺の大修復を手がけた3人の西岡さん(父と長男、次男)から、「木は生きている」もしくは「木の死んだののこと」など、ずいぶんいい話を聞かせてもらったと思う、と。
・・・「いい話を聞かせてもらうことは、いつまでも減らない福を贈られたと同じである」
・・・この一文に深く感じ入りました。イエスも釈迦もマホメットも、世の中の偉人も指導者も、言葉の福を多くの人たちにたくさん与えることができる人たちなのでしょう。
なんだか福というものを、とても現実的なものにとらえることができそうです。
福とは良い話のことである。
ですから、大本さんがなさっている「通信」も、福を集めて皆にプレゼントしているということなんだと思いました。
(E.S) 中学校教師
●<近況報告> (小学校の先生より)
そ①
昨日富山から帰ってきました。
食育の先進校視察で、研修に出してもらうことができました。
やはり、実践者の方の話を直接伺うのは、得られるものが多いです。
勉強するって大切なことだなぁと実感しました。
その②
原稿を2つ仕上げました。
一つは先生達の月刊誌の原稿で、
もう一つは、前の職場の30周年記念誌原稿です。
その③
運動会、よりにもよって全校ダンス担当になりました。
手と足と気持ちがバラバラになる私なのに…
家で姿を本棚のガラスに映し、特訓中です。
以上、私の近況報告です。
これから、職員会議の提案文書を仕上げます。
締め切りは明日。寝られるかな…(>_<)
9月が始まると、一気に12月までいくので、
夏休みが終わるのを悲しむ小学生と同じ心境になっています。
でも、始まれば、こののんびりとした8月を忘れちゃうんですよね。
すっかり過去のことになってしまいます。
それでは、またメールを送りますね大本さん、身近なところで、新型インフルエンザの人がけっこういます。
お身体に気を付けてくださいね! (プチトマト)
●<最近、嬉しいこと>
何よりもN(長女)が学生らしく、勉強に勤(いそ)しんでいる姿。世の中では親の年収と学歴には何らかの関係があると言われています。“塾に半信半疑でしたが、“塾”と“家庭教師”がNには合っているようで、「分かりやすい説明」と「褒めて伸ばす言葉」で、グングン成績が上がっている事実。
先日の三者面談でも(中学校の「塾は決めましたか?」の質問に、学校の教育だけでは無理なんだ……と今さら気づきました。
<考えること>
担任の男性教師が、
「私は分かりませんが、女性教師が『Nさんは髪を染めている』と言っていますが、どうなんですか」?と言うんです。
「幼い頃はもっと茶髪で、私には十分黒髪に見えます」と言いましたら、「黒く染める時には美容院でお願いします」との返事。
こんな先生より、塾の先生の言葉が心にしみる…………おかしいですよね。
(A.T)
なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる
そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君はとぶんだ どこまでも~
そうだ おそれないで みんなのために 愛と勇気だけがともだちさ~
この歌詞はいわずと知れた、やなせたかし作詞のアンパンマンマーチの一部です。大人になって読むと深いですねぇ。自分の幸せ、他人の幸せ考えていますか?夢を見てますか?でも、涙は流してもいいと思います。この歌詞の中に出てくる言葉“勇気”について書きたいと思います。
今年の4月に同棲していた彼女と別れました(笑)。最近でも夢に出てきます。ふとしたことで元彼女を思い出します。重症ですねぇぇ…。復縁を考えるけど彼女の冷たい態度と別れたことへの後悔で不安になり、忘れようとしても拭いきれない。新しい恋を考えるけれどまた同じ事を繰り返すのではないかという不安がまた出てくる。前に進もうが後ろに退こうが、不安・不安・不安…どない せぇちゅんじゃ!!とずっともがいていました。
いろいろ忙しくてなかなかゆっくり考えられなかったので、体調を整え時間をとり、ゆっくり考えて出た答えは“やっぱり彼女が好き”だということ(笑)。頭で納得しても、気持ちは納得できない。そしてもう一つわかったのが、自分は傷つくのを恐れていたということ。
人は誰でも恐怖や不安があります。ほんの少しの勇気が求められるとき、この不安や恐怖に臆病になってしまう。そして自分に言い訳をする。でも、そんな自分はいやだ!勇気は繰り返し出すことで、成長し強くなる。勇気って恐怖に対する行為なんだと思います。
私自身、自分の「好きだ」という気持ちに従うことにしました。だから、今は自分をより高めて、元彼女がまた好きになってくれる自分になろうと決めました。それは、1
年後かもっと先かも知れません。また会った時に元彼女は別の人と結婚しているかもしれない。元彼女を傷つけるかもしれない。そのとき、私はもっと落ち込むかもしれない。けれど、そんな恐怖に囚われても仕方がない。一歩前に。さらに一歩前に。
考えに考えて出てきた理屈より、なにかの拍子にポロッと出てきた言葉の方がより真実をついていることがよくあります。
以前、ふと「私が世界(宇宙)に対してできることは、理解することだけだ。」という言葉がどこからともなく生まれてきました。私は、理屈抜きで「これは真実だなあ。」と感じました。
万人にとってこの言葉が真実かどうかわかりません。私にとってだけ真実なのかもしれません。それでも、「知る」ということは、とても大切なのは事実では ないでしょうか。例えば、小匙1杯の醤油を魚が住めるくらいに薄めるには、お風呂1.5杯分もの水が必要だと知れば、今まで余った醤油をそのまま流しに捨 てていたのをやめるかもしれません。
人は、正しい情報や知識があっても誤った決断をすることがままありますが、反対に、間違っていたり不十分な情報や知識しかないのに正しい決断をすることはまずありません。知ることは、正しい決断をし、正しい行動をするのに不可欠な前提条件なのです。
作家・ジャーナリストで、「ルポ 貧困大国アメリカ」著者である堤未果さんが講演でアメリカのイラク戦争帰還兵の次のような言葉を紹介したそうです。
「イラクにいるとき、私たちの敵はホワイトハウスや戦争で利益をあげている民間企業などだと思っていた。だが、帰国してもっと大きな敵に出会った。それは国民の無知と無関心だった。」
もし、国民が本当に起こっていることを知るのにもっと貪欲であったなら、イラク戦争のあり方は大きく変わっていたでしょう。イラク戦争そのものが起きなかったかもしれません。
今も昔もずるい為政者は、民が本当の事を知ることを恐れてきました。なぜなら知ること自体が力を生み出すからです。民が自ら知ろうとしない状況は、支配する側にとって好都合この上ありません。
知ることに怠惰であることや知ることを拒絶することは、自分が愚かになるだけではすまないようです。ボンヘッファーはこう言ってます。「愚かさは悪よりもはるかに危険な善の敵である。」と。
100年に1度の○○、長期に渡る○○の変わり目、などなど今は大きな時代の変わり目の時期であるという表現が、マスコミの報道の中に良く見受けられます。
それを聞いたり見たりしている視聴者は、そんなに長期間生きた事はありません。それだけに、そう言われても『ふ~ん、そうなのか……』と思いはするものの、それでどうする?と考えて見たところで、なかなか答えが見出せません。せめて自らの収入が減らないように努力するっていうのが関の山だと思います。
カク言う私もその一人ではありますが、経済不況の煽りを真正面から受けた一人ですから(派遣切りでリストラになりました)、偉そうな事は言えません。
それでどういう巡り合わせか、私は岩手県遠野市の木工団地協同組合の事務局に再就職する事ができました。
何とか再就職できたものの、45歳の収入にしては20万円に満たない低賃金ですから、これで一件落着とは行きません。
こんな時思い出される言葉は【貧すれば鈍する】という言葉でした。
たとえ貧したとしても鈍する事がないように、日々の瞑想にも熱が入り、自分自身の内側を掘り下げる思いが強くなりました。
そうしていると、ある日《他者に与えたものは必ず自分に返る》というメッセージを受けました。これは映像的なものも含めて感じたメッセージでしたから、強く私の心の中に染み込んで行きました。
そんな事があった後に、私が以前勤めていたNPO法人の一人の理事から私に、5月に総会があるから、その前に理事になると意思表示して欲しいという依頼がありました。(※)
その人とは『いずれそのうち理事になる』という約束はしていましたから、快く私はそのNPOの理事に立候補し、総会で私の理事就任は満場一致で可決されました。
しかし、この時に一人の理事が欠席していたのです。それは私が不道徳な実態を暴露した事により、理事長の座を降ろされた、前理事長でした。(アル中で朝昼晩酒を飲み、セクハラや不透明な金銭使用など)
ですから、自分の出席していない総会で恨み重なる私が理事に就任するなどもってのほかだという事で、不信任案を出されました。
しかも池田がどれ程ひどい人物であるか、書面にして全理事(10名)に送ると言い出し、分厚い封筒に溢れんばかりの私の悪口を理事会のメンバーに郵送しました。
そこで私を推薦していた理事から「反論の文章を郵送しようか?」
と相談を受けました。
しかしそこで私の頭に浮かんだのは、
《他者に与えたものは必ず自分に返る》というメッセージです。
ですから彼が私を攻撃するなら、無視するのが一番良いと思いました。
贈り物を差し出されたとしても、それを受け取らなければその贈り物は差出人の物になる。つまり私への批判は彼自身に送り返されると思いました。
それに、私には他者に非難されるような事は思い当たりませんでした。
そういう事で、他の理事さん達も私に同意して無視する事にしたのですが、無視されるとなおさら前理事長の苛立ちは増すばかりです。
今まではインドの事は前理事長が一番詳しい存在であり、資金的な事は彼に任されていました。しかし彼以上に詳しい私が理事会のメンバーになるという事は、資金的な自由が利かなくなるという事です。
業を煮やした前理事長は、私を理事会から締め出すのは不可能と思ったのか、別の財団法人を設立し、その会員集めを始めました。しかもその勧誘対象はNPO法人の会員であり、会費をディスカウントして、勧誘を始めたのです。
まさに『貧すれば鈍する』とはこの事で、仮に資金を集めたとしても簡単にインドに送金する事は出来ません。国境を越えた金銭のやり取りには、越えるべき障壁が多々あります。
そうとは言え、NPO法人からの退会者が徐々に出始めました。
そうなるとこの行為はNPOの活動妨害にあたるという事で緊急理事会が開かれ、前理事長の退任勧告が出され、これが可決しました。
つまり私に対する不信任案を出した彼に、他の理事達から退任勧告が出されることになった訳です。
やはり贈り物を受け取らなかったから、送り主に返されたようなものでした。だからと言って、私は『してやったり!』なんて思ったわけではありません。むしろ前理事長が人間本来の善意を取り戻すのを願っていました。
10人の理事のうち半分は、前理事長を支えるつもりで理事に就任した人達です。
前理事長の退任勧告が出された時に、私からその人達に伝えたのは、
「皆さんの意思表示が前理事長を左右するという事ではなく、インドの子供達の将来を左右するという事を踏まえた上で、意思表示して下さい。」
と、伝えました。
どうやら私の真意を理解してくれたようで、退任勧告に同意するだけでなく、険悪な環境に置かれた子供達に手を差し伸べるという事で、皆の決意を導く事にもなりました。
何はともあれ、『人を呪わば穴二つ』と諺にもあるように、以上のような悪い事例もあれば、善意を発すると『万人に福来たる』、という事にもなるのだと思います。
※…インドの孤児救済を目的とした日本のNPO法人の現地駐在員として、かつてコルカタに滞在。
時々痛ましい事件があります。児童虐待の疑いで近所の人が保健所などに通報したにもかかわらず、虐待を防げなかったという事件。あるいは、スクールカウンセラーに相談していたのに、生徒の自殺を防げな かったり、など。そのたびに、「なぜ?』と思い、残念でもどかしく思ってしまいます。そんな時、よく聞く言葉。「兆候は見られなかった」とか、「対応は適切でした」。
「適切な対応」「やるべきことをやっている」のに、結果が悲惨だとしたら原因はどこにあるのでしょう?事務的に処理するだけではダメで、相手の身になって考え、場合によっては一歩踏み込んだ対応が求められているような気がします。
私自身の体験です。たとえば、大学の相談室では、予定日時に学生が来室しないこともそう珍しくないのですが、そこで電話を掛けて確認したり、来室を促したりは原則としてしません(急を要する場合は別 です)。本人からの連絡待ちです。ご家族への電話連絡なども、本人のプライバシーの問題もありますから、了解を得た上で最小限の接触になることが多いのです。この場合、やるべき事はやっているので一応問題のない対応ではあるわけです。とは言え、連絡がないとやはり心配になります。
で、ここからは個人の裁量なのですが、私の場合、しばらく様子を見て電話したり、通じなければ留守電に入れたり、家族に連絡できるときは連絡して様子を聞くなどします(ケースにもよりますが)。それで解決に近づくときも、何の変化もないときもありますが、この一手間かけること=「ちょっとのお節介」が何かプラスになってくれればと思うのです。
ほんの数語の雑談が、また来室しようという気にさせたり、気分を変えさせたり…。何かが大きく変化するわけではないとしても、誰かが自分のことを気に掛けてくれていると知るだけでも、生きる希望につながる場合もあり、大事なことだと思うのです。
必要なのは「ほんのちょっとのお節介」であって、「行きすぎたお節介」にならないようにしなくては…。このさじ加減にいつも悩んでいます。 (大本)