PAST ACTIVITY
通りを歩いていると、どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえて来た。何だかとても懐かしい気がした。久しぶりに聞く声のような気がする。「ンンギャー、ンンギャー!」と、それこそ生まれてまもない赤ちゃんの泣き声だ。
以前は、けっこうあちこちで耳にした気がする。夏に窓を開け放っていると、赤ちゃんの泣き声や兄弟ゲンカの声など、子どものたてる物音や声が、自然に耳に入ってきたものだった。今は「少子化」のせいか、そうした子どもの声をあまり聞かない。
そんなことを思っていたら、私の子ども時代のできごとを思い出した。
私が4、5歳の頃だったと思う。駅の階段を、弟と私は母に連れられて上っていた。荷物を持った母が弟の手を引いて、私は母にくっついて階段を上がっていた。すると、ヒョイっと私の体が宙に浮いた。エッと思う間もなく、気がつくと私の足はホームの上にストンと着地した。見知らぬおじさんが、ホームまで私を抱えて上がってくれたのだ。
こんなこともあった。やはり駅の階段で、その時は母と二人、私が母と手をつないで階段を上がっていると、後ろから来た男の人が空いている方の私の手をとると、母と二人で、ブランコのようにして、私をサーッとホームまで引っ張り上げてくれたのだ。(イヤー~、ラクチン、ラクチン!)。
母がお礼を言うと、その人は「イヤイヤ…」と笑顔を残して去っていった。
こんなことが幼い記憶の中に何回かある。体がフワッと持ち上げられた時の感覚、ビックリしたけど面白かった体験、そして子ども心に親切な人だなあと思ったのを覚えている。
私自身が母親になって、同じようなことが一度だけある。
やはり駅の階段を、幼い息子たち3人を連れて上がっていた時のこと。私は三男の手を引いて、上の二人をそれぞれ歩かせていた。突然、後ろから来た男性が次男をサッと抱きあげて、タッタッと階段を上がって行ってしまった。一瞬何が起きたのかわからず、私は急いで二人を連れてホームに上がった。
私が見たのは、抱えていた次男をホームに下ろすと、サッと電車に乗り込んだ男性の後ろ姿だった。横顔から若い白人の男性とわかった。お礼を言う間もない、アッという間の出来事だった。突然のことで戸惑ったが、嬉しかった。心の中に温かいものが広がって、この雑踏の中でも、私たちが守られているように感じた。
こうしたホンのちょっとした周りの気遣いが、幼い子を持つ母親にとってどんなにありがたかったことか…。
………
安心してお母さんが子どもを育てることができれば、自然に少子化なんか解消だ。
そして、赤ちゃんの笑顔がいっぱい見られるようになれば、みんなの幸せも増えていく!
● 春先からずっとPTA役員等が負担で無気力で、ひたすら篭って外との交流を絶っていましたが、最近踊りの舞台の稽古の為、活動を再開した途端、急に外からのアプローチも増えてびっくりです。
立て続けに、ご無沙汰している人や場所から連絡やお誘いが入ったり、企画が出来たり。そして、その中でまた新たな出会いや学びを得ています。
春は今の動きの為には必要な準備期間だったのかも知れません。差が激しいけど私らしいかも。 (弘子)
●なぜ人間は自然から学ぶことが多いのかなと、ふとかんがえたんだけど、自然は最初からこの世界に存在するわけでしょ。で、人間は最近できて、頭で考え出して、社会生活で悩んでるわけだ。
本質や根本的なことは、全部自然が教えてくれる。
うまく説明できないけど、すごい長いスパン、生命の誕生から考えたら、いろんな問題の答えは、全て自然界が知っていると思う。
うーん、うまくいえない。。。 (20代男性R)
●セレニティの通信を拝見していると、この社会はイロイロ・色々課題があるわけですが、それに押し潰されないで生きていく知恵とか勇気を【さがしている】雰囲気を感じてました。なので、今回は、私のさがした、というか発見した見かた、みたいなものを、その一つとして載せていただければ嬉しいな、と思って、送らせて頂きました。 (葉子)
あの養老先生が、昆虫採集がご趣味と、テレビを見て知った。
「虫捕りをしない人は、いったい何に時間を使っているのでしょうねぇ・・・。」と不思議そう。そしてこう続けた。「僕は一般社会の価値や時間の中で生きる一方、虫の生きる世界や時間も共有したい。だって僕の半分は虫だから。」と。
僕の半分は虫―。テレビの司会者は、何のこっちゃ、と笑っている。でも私には、ちょっとホッとする感覚。むしろその一言で、養老先生のバランス感覚が健やかに思えた。
その次の日、近所の畑のヨシコさんのところへ出かける。野菜を分けてもらおうと思って。ヨシコさん、草取り中である。畑から歩道に這い出している草を採っているが、すごい量。
「草取り、大変ですね。」と声をかけると、手を動かしながら、「草はいのちのおもむくままに、ただただ伸びてるだけ。それを雑草だのなんだのって言って、邪魔モノ扱いするのは、人間の勝手なんですよ。」と。町をキレイにしましょう、というけなげな方々からご忠告でもあったのだろうか。それにしてもヨシコさんらしい発言。この人も、半分は植物だもの。
そこで、私も虫や植物の身になって、人間を眺めた。虫籠の中でキュウリを与えられているカブトムシや、プランターで水と肥料をもらっている花たち~つまり人間に面倒をみてもらっているものたち~を除くと、そもそも虫も植物も、人間の力を必要とはしていないことに気づく。
虫は人間の力を借りなくても、自然界の中では自力で生きていけるし、繁殖もできる。植物も太陽の光と雨水があれば、土に根ざしているから大丈夫。花粉を運んでくれる虫と、実を食べて種を残してくれる動物や鳥がいれば子孫も増やしていける。彼らからすると、蝕みこそすれ、大事にしてくれない人間は余計な存在なのだろう。
ふと我にかえると、何やらちょっと輪から外されているような寂しい気分。
これ以上に余計な存在にならないためにも、ときどき虫になったり植物になったりする時間は不可欠かもしれない。
ある日、中学生の弟が出かけるとき、彼女にビデオの予約を頼んだ。弟にしてみれば、姉は家にいるのだからそのくらいの頼みは何でもないと思ったのだろう。そのとき彼女は、とっさに「ダメ。私は忙しいんだから」と答えた。後に彼女が当時を振り返って「私は学校に行かないことをしていたと思う」と話していたという。実に核心を突いた言葉だと思う。「学校に行けない、行かない」ことによる悩みや不安、葛藤は尋常なものではない。「明るく元気」に見えたわが家の次女も例外ではなかった。そんな自分自身と闘いながら、「学校に行かないこと」をしている不登校の子どもは、ものすごいエネルギーを使っていることを、まず分かってほしい。 (P64)
「待つ」というのは決して何もしないことではない。親は「待つ」よりも、往々にして「あれはどうか、これはどうか」と提案したくなる。その方が「待つ」よりも楽だからだ。子どもが「学校に行かないこと」で大きなエネルギーを使うように、親は「待つ」ことに大きなエネルギーを使ってほしい。(P74)
7月に『わが子が不登校で教えてくれたこと』(新風舎、税込み1365円)を出版した、函館の野村です。少部数ですが、おかげさまで9月上旬に2刷がなくなり、10月15日に3刷が出ました。これまでは、主に北海道内で売れていましたが、より広く皆さんに知っていただければありがたいです。
不登校を直接のテーマにしていますが、「ケースワーク論」を手がかりに、子育てや教育のあり方にヒントになりそうな内容も盛り込んだつもりです。出版後、教育・福祉関係者の研修会や講演会の講師にお招きいただく機会も増えました。なお、拙書はお近くの書店やアマゾン等のネット予約もできますし、お急ぎの場合は、直接お送りいたします。
(FAX:0138-57-3041、メール:tnomuraybb@ybb.ne.jp 野村俊幸)
私は来年の2月で、42歳になります。
人間、年をとると自分の体験を物差しに、世の中の事を推し量る傾向が出始めると思います。それは仕事や家庭や生まれた場所で培った体験など。
自分より若い人を相手にする時は、自分の若かった頃を思い返しながら、その若者を推し量ろうとするかも知れません。
あくまで相手は自分より若く、体験は自分より少ないはず。
だから自分は相手に教え諭すような言い方をする義務がある。
なんて方程式が、無意識のうちに出始める事もあるのではないでしょうか。
それは良いことである場合もあれば、悪い結果になる事もあるかもしれません。
悪い結果というのは、若者が威圧的な感覚で苦しむ事もあるだろうという事です。
最近私は、それを痛切に感じさせられる事がありました。
愛知県に引っ越してから3ヶ月が過ぎ、当地の環境と仕事に慣れてきたので、名古屋に住む50歳のお坊さんと、豊橋市で働く22歳の女性と3人で会って、食事をしながら懇談する事にしました。これは私の働きかけで、お二人が同意してくれた訳です。
このお二人は「神との対話」という本を読んで感銘を受けた方々で、ヒューマニティチーム・ジャパンのホームページの掲示板で知り合いになりました。
ですから、お会いするのは初対面です。
何故か私は、瞑想や祈りの大切さを語りたい衝動が強くなってきたので、
『是非、お会いして、色々語り合いませんか?』
というお誘いをしました。
それで、お二人とも快諾して楽しい会話と憩いの場を持つはずでした。
夕方6時半に駅で待ち合わせをして、22歳の女性が用意してくれた静かな居酒屋で、3人の会食が始まりました。
私はメールで、瞑想の事を語り合いたいと伝えてありましたから、自分の体験や感覚をもとにして、お二人にお話しさせていただきました。
インドでの体験、マザーハウスでの体験、瞑想の時の体験などなど。
和尚さんはインドに何度も行った事のある人ですし、僧侶としての修練を積まれてきた人ですから、私が熱く語る事も、
「う~ん!なるほど。なるほど。」と頷いて聞いてくれました。しかし女性の方は何やら苦しげな表情で、私の視線を避けているように見えました。
それでも私はアルコールが入った勢いのせいか、ことさら熱心に語っていました。
それで、30分くらい過ぎた頃だったでしょうか、彼女は耐えかねて怒りの表情になり、
「ちょっと待ってください池田さん。
池田さんは話していて気持ちいいでしょうが、私は何だか苦痛です。
池田さんは神秘的な事に囚われすぎですよ。
その感覚から離れないと、決して幸せになれませんよ。
幸せになりたいなら、その神秘的な感覚から離れるべきです!」
と言いました。
『え~??なんで???』
と、私は唖然としてしまい、口から言葉が出なくなってしまいました。
それでマジマジと、彼女の苦痛に耐えかねた怒りの表情を目の当たりにして、
『うわ~…俺…なんか……悪いこと…したのかも知れない…』
と、不本意ながら罪を犯してしまった犯罪者のような思いにかられ、困惑しながらら頭をかきむしりました。
『あちゃ~~まいったなぁ~
俺、初対面の人に、何熱くなってんだろ~』
そんな自責の念が頭を駆け巡り、自分の不甲斐なさに嫌気がさしてきました。
そんな私の表情を見かねてか、お坊さんが苦笑いしながら女性に対して
「あなたは池田さんの言ってる事じゃなくて、それよりも深い所で嫌悪感を感じるんでしょ?」
と聞きました。
「はい、そうです」
「そうでしょう。多分あなたは先天的に、より深い何かを感じる特性をお持ちなんでしょうね!?」と優しく言いました。
「はあ、私は過去に家庭に問題があって苦しい体験をしましたし、今カウンセリングを受けたりしてるんです」と彼女は言いました。
そしてお坊さんは、
「たしかに瞑想は良いかもしれないけど、そんなに良い気持ちになるのは自分だけ体験してたらいいだろうと思うでしょ?」
「はい!そう思います。」
「でもね、それを人に伝えたり手助けしたくなるのは、菩薩の境地なんですよ。
それは体験しないと分からないかもしれないけど、今池田さんが言ったような事も、後になれば『ああ、この事だったのか』って納得する時があるかも知れませんよ。」
と、穏やかに私のフォローをしてくれました。
それで、その場は何とか凌いで、「楽しい時間を持てました」とお二人は言ってくれたのですが、私は自責の念が強くなる一方でした。
それから2,3日過ぎでも
『おれは特別な体験をしたと思って傲慢になっているんじゃないだろうか?人に対して威圧的になってるんじゃないだろうか?インドやネパール、バングラディシュに滞在した経験、マザーハウスでの体験、異国の文化で暮らした体験、それを特別な体験だと思って傲慢になってるんじゃないか?そうだったら嫌われて当たり前だよな!』
と、やるせない自責の念が残っていました。
私は自己嫌悪に陥った事はないのですが、
『ああ~俺は失敗した』という思いが拭い切れず、気落ちする感覚が離れませんでした。
そんな思いで休みの日、気落ちしながら部屋でコーヒーを飲んでいる時に、ブルブルッブルブルッと、携帯電話が鳴りました。
「はい、もしもし?」と電話に出てみると、それは九州の42歳の男性の友人からでした。
(彼は、私とは別にブータンで青年海外協力隊の活動をしたり、ジャイカやODAで途上国の援助活動を3年くらいしてきた人でした。前田という人です。)
「池田さん、元気にしてる?」
「うん、まあね」
「ふ~ん、やっぱ池田さんはパワフルだよなあ。どうすれば池田さんみたいにパワフルでいられるの?」と、相談するような感じで聞いてきました。
「何で?何かあったの?」と聞くと、
「うん。俺ねえ、自分が特別な体験してきたっていう思いが強いせいか、人との間に壁ができてしまうみたいなんだよ。それに俺は池田さんみたいに体力に自身あるほうじゃないから、体の調子が悪くて蛇の生殺し状態なんだよ。再就職もうまくいかなくて、どうしようかって毎日悩んでるんだ。」と言いました。
「で、池田さんは凄いと思うんですよ。俺と同じような体験してきてるのは分かるけど、何だかんだ言って愛知まで行ってちゃんと働いているでしょ?池田さんは人間関係で悩む事なんてないでしょ?いつも活発に行動してると思うんですよ。
俺の知り合いでそんな人、池田さんしかいないから、是非そのコツというか、信念みたいなの教えて欲しいんですよ」
と、私にすがるような言い方でお願いしてきました。
そして彼のブータンや未開地での医療活動の事など長々と語り、その頃に持っていた活力を取り戻したいという願いを訴えかけてきました。
私は電話で「うんうん、なるほど。凄いですね。それは特別な体験ですよね」
と聞いていましたが、不思議と3人で会食していた時のイメージが蘇ってきました。
私に熱く語る彼は私自身と重なり、他にお坊さん、22歳の女性などの人生体験も、不思議と自分に重なる感覚を感じてきました。
彼の語る人生体験を聞きながら、私の胸の奥底から、
『全ての体験は特別な体験であり、全ての体験に価値がある。』
という思いが湧き上がってきました。
それは溢れんばかりで、不意に涙が流れてきました。
電話から聞こえる言葉に相槌をうちながら、
『全ての体験は特別で、全ての生涯は尊い生涯なんだ』
という確信が喜びと共に芽生えてきました。
この感覚は、マザーハウスでハンセン病の患者と抱き合った時に感じた感覚でもありました。
そんな溢れる思いから、不意に私の口から言葉が出てきました。
「ねえ前田さん。前田さんの体験は特別だったと思いますよ。
とても良い体験だったと思います。それは尊重していいと思います。
それで、私が思う活力を取り戻す方法は、同じくらい周囲の人達の体験も特別だという事を認めて、それを尊重する事だと思うんです。
そこから互いに繋がる喜びが、活力を生み出すのだと思います。」
と言いました。
これは私自身に対する言葉でもありました。
そしてこの言葉は、今の私にとって命綱だとも感じました。
だからこれは言葉だけではなく、態度で示すようになりたいとも思いました。
インドの子供達に、生きた証である事を願ったのと同じくらいに。
この私の気持ちが彼に通じたのか、彼は私からもっと知恵を吸収したいと願うようになりました。それで、九州から愛知県に引っ越して来る事になり、共に愛知で働く事になりました。私は彼の願いに応える事にしましたから、互いの体験を尊重する生き方を示す事になりました。
これは私が考えた事ではありませんでしたが、自然の流れでそうなったようにも感じています。だからこれは私自身の成長のプロセスである事を認めて、幸福に繋がる生きた証になれるよう、これからも精進したいと思っています。
(元NPO「レインボーホーム(孤児の家)」インド駐在員)