PAST ACTIVITY
都会っ子のS君はたき火をやったことがなかった。去年の秋、おばあちゃんの家に行ったときに、庭の落ち葉を集めてたき火をしたのが初めてだった。
それから一年後のある秋の日、S君は近所の神社まで自転車を走らせた。神社のあたり一帯は公園になっていて、落ち葉が厚く積もっていた。S君は持ってきた大きな黒いビニール袋いっぱいに、落ち葉をつめこめるだけつめこむと、大急ぎで家まで運んだ。そうやってもう一往復。ビニール袋二つ分の落ち葉を集めた。
東京の下町、路地裏のS君の家の廻りには、空き地も、落ち葉が積もるような木もなかった。ただ、家の隣りには、道路に面して小さな駐車スペースがあった。お父さんが仕事から帰るまでは空いている。S君はコンクリートの駐車スペースに、集めてきた落ち葉を積み上げた。隣のケンちゃんに声をかけて、たき火をすることにした。
去年おばあちゃんがやっていたのを思い出しながら、何とかたき火に火をつけた。家からサツマイモをもらってくると、たき火の中につっこんだ。
駐車スペースは道路脇にあったので、近所のおばさんや通りかかった配達のおじさんが声をかけてくれた。
「気をつけてね」
「お、焼き芋か、いいねえ。」
近所の友達や小さい子たちも集まってきた。
落ち葉がもっとあったらなあと思った。せっかく面白くなってきたところで、たき火は勢いがなくなってしまったのだ。お芋は焦げたところと、まだ堅いところがあった。
でもみんなで食べたら、アッという間になくなってしまった。
焦げていても、堅くても、すごくおいしかった!
…………
これは、焼き芋を食べながら、大学生のS君が話してくれた、小学生の頃の思い出だ。もう15年も前のこと。
そんな昔のことなのに、まるで昨日のことのように細かなことまで思い出しながら、笑顔で語るS君。
どんなにか楽しかったんだろうなあ。コンクリートの上のたき火、そして焼き芋。
………S君の話を聞いているうちに、思い出した言葉がある。
「センスオブワンダー(sense of wonder)」=神秘さや不思議さに目を見はる感性=私流に言うと、「ワクワクドキドキする気持ち」とでも言えるかな。
環境問題に警鐘を鳴らした「沈黙の春」の著者、海洋生物学者のレイチェル・カーソンは、名著「センスオブワンダー」でこんなふうに語っている。
『わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。』
子どもの成長の基本に「ワクワクドキドキ」は欠かせない、それは何かを知りたいと思う気持ちの元だという。このことはたぶん、おとなにとっても同じだと思う。「ワクワクドキドキ」があればこそ、「知りたい」「やってみたい」という気持ちや、それに促されて希望が生まれる。それはときに、生きがいにもなる。
「教育改革」も「少子化対策」も、「雇用促進」だって「高齢化対策」だって、「ワクワクドキドキ」が、コトの始まりの種子であるように思う。
学校の授業に…
子育てに…
仕事に…
退職後の生活設計に…
「センス オブ ワンダー」はいろんなところで、みんなの目をキラッ ☆ とさせる。
「ワクワクドキドキ」…おとなも子どもも、いっぱい見つけられたらと思う。
(セレニティ・カウンセリングルーム代表)
● 以前はpositiveにという言葉があまり好きではなかった。おそらく、自分の気分にかかわらず無理に明るく振舞ってしまったからだと思う。
今はただ楽しく、その瞬間瞬間が後々に意味のあることだということが点から点へと線で結びつくようになってきたと感じている。
自分のやりたいことをやりたい時に、思い切ってやる!
休みたいときはそういう時だと思って肩の荷を降ろせばいいさ!
一歩一歩を噛みしめよう! (ミッキー20代女性)
●今年の夏は仕事がバタバタと相次ぎ、子供と約束をしていた夏休みの旅行が果たせず、へそを曲げられてしまったため、仕切り直しに9月に遅い夏休みと称して、青森は八甲田へ家族旅行してきました。
しかし、例年のような残暑でない気温(涼しい)にウチのばか息子はカゼをひいてしまい、旅行中、発熱。全くなにも見ることなく旅館で過ごすことに。
こんな遠くに何しにきたのかとためいきをついていると、
「ママ、津軽三味線はどこできけるの?」とふいに聞かれ、38度の熱にうかされている小学校2年生の我が息子の顔をマジマジとみてしまいました。ほんと、子供ってわからないな。 (K.S40代女性)
●最近、レンタルで「リバー・ランズ・スルー・イット」という映画を見ました。この映画にはフライフィッシング(渓流づり)の場面が頻繁に出てきます。太陽に輝く釣り糸が、美しい放物線を描いて水面に落ちる場面、自然と人間が一体になっているかのような美しくダイナミックなシーンを見ているうちに、ふと、以前Sさんがフライフィッシングの魅力を熱く語っていたことを思い出しました。数日後、所用でSさんにメールを書いた折、この映画に少し触れたところ、Sさんから次のような返信メールが届きました。(大本)
●今回は「リバー・ランズ・スルー・イット」のご感想を頂きありがとうございます。
この作品を見たとき、同性の兄弟の居なかった私にも、いろいろなことが伝わってきました。
家族、とりわけ父と兄弟(女性だったら、母と姉妹になるのかもしれませんが?)の関係に関して、ある意味理解するのに非常に参考になるのではと思います。この難しいテーマを、フライフィッシングを緩衝材に上手く利用していることは、レッドフォードの卓越した手腕のように思います。
それにしても、作者のノーマン・マクリーンにとっての唯一の代表作らしいですが、やはり本当に良い作品は、一人一生に一つなのだと改めて思うような作品ですね。 (M.S)
※映画「リバー・ランズ・スルー・イット」(1993年アメリカロバート・レッドフォード監督作品)
1900年代初頭のモンタナの美しい自然を背景に、牧師一家の家族や兄弟の愛と葛藤を描いた作品。原作はシカゴ大学教授ノーマン・マクリーンの自伝的小説。
余談ですが、映画クレジットの最後に「映画は一匹の魚も殺すことなく制作された」とあったのは安心しました。事実、映画には多くの魚が釣り上げられていたので…。それにしても森の香りや水の感触、日射しの温もりまでも伝わってきそうな映像です。
「手塩にかけて」…最近ではあまり聞かれなくなった表現ですが、大切に育てることを表現するのに、これほどふさわしい言葉はないかもしれません。
「手塩にかけて育てる」…は、講師の平井先生が温めてきた言葉、思いのいっぱい詰まった言葉をそのまま研修会の名前にしてスタート。以来5年。最近は学校の長期休みに随時開催(日程・内容はできるだけご要望に応じます。ご連絡下さい)。
講師の平井先生は元小学校教師。「からだと心」「ものづくり」「コミュニケーション」など、幅広く研鑽を積まれた成果を手作り教材に生かしてこられました。退職後は「手塩研」の講師として、現場の先生への温かく具体的な授業トレーニング指導が好評です。手塩研のときの平井先生の手提げ袋からは、玉手箱のようにいろいろな教材が出てきます。毎回それがなかなかの楽しみです。
●待望の手塩研の企画をありがとうございました。大変とは思いますが、またお願いします。来るたび、見通し、イメージが持てたり、何よりやってみたいなとウキウキワクワクします。子どもののっている姿が浮かびます。
二学期が始まるゆううつが、少し吹っ飛びました。(T)
●久しぶりに手塩研。いろいろ勉強になりました。
参加できて、うれしかったです。(H)
●今日はありがとうございました。
「ほめほめ」はぜひ取り入れて、二学期は明るい雰囲気で楽しくできるようにしたいと思います。ほめる技も磨かなければならないと思います。(T)
●久しぶりに手塩研に参加し、初心に返った気がしました。日頃、教師のための授業をしてしまいがちなので、これからは子どものための授業、子どもが楽しくなる授業をして、自分も教師を楽しみたいと思いました。(N)
「今、学校はたいへんだなぁ。先生も、子どもも、親も…。」というのが、学校の様子を耳にするたび感じることです。教育制度の改変に伴い、提出文書など事務処理が増えて、先生が子どもと接する時間がどんどん削られる、本末転倒ですね。
でもそんな中、一日でも、一時間でも、先生も子どもも満足できる授業のお役に立てたらと思います。手塩研以来久しぶりに会った若いN先生、「子ども達とも良い関係になって、クラスが変わってきました」とスッキリ元気な様子。あの「N先生」がもどってきた!
私は今、愛知県にある会社の寮で暮らしています。
寮とは言っても会社で借りているアパートですが、9月始め頃に「1人の青年が1週間くらい同居するから、宜しくお願いします。」という連絡が会社からありました。
沖縄から出稼ぎに来るとういう事だったのですが、まだ部屋が決まっていないから、それまでの間泊めてやって欲しいという事だったのです。
それである日私が仕事から帰宅した時、1人の少年が部屋から出てきて
「ああ~…始めまして、Tといいます。
今日から1週間くらいお世話になりますが、宜しくお願いします。」と言いました。
『ああ、この人が連絡があった人か…』と思い、
「こちらこそ宜しくお願いします。俺に気兼ねする事ないから、気楽にして下さい」
と言いました。
彼の自己紹介によると、歳は17歳で沖縄から来たばかりで、1人暮らしをするのは始めての事だという事です。
17歳で高校中退して働くにはそれなりの事情があるのだろうと思いましたが、どうせ一週間くらいの事だから、本人が話す気になるまでは詳しい事情は聞かない事にしようと思いました。
その日の夜12時すぎに、私の部屋を彼がノックして、
「あの~池田さん。ちょっといいですか?」と言ってきました。
ドアを開けて聞いてみると、「なかなか眠れなくて困ってるんです。どうすればいいでしょうか?」と言うんです。
『はあ~何言ってやがる。んな事自分で何とかしろよ!』
と思いながら
「それじゃこの本でも読んだらいいよ。読んでるうちに眠くなるから。」
と言って《神との対話》という本を渡しました。
すると彼は素直に
「はい分かりました。んじゃ読んでみます。」
と笑顔で本を受け取りました。
翌日の夜8時頃、やっぱり彼は私の部屋をノックしました。
「池田さん。ちょっと相談にのって欲しいんですけど。」
と言うんです。
『17歳の少年の相談とは何ぞや!』
と思いながらも、家庭の事情やら仕事の事などあるだろうとも思いましたので、
「ああ…いいよ。」
と言い、私の部屋の中に入れました。
それで彼はソファーに座るなり
「実は僕、霊が見えるんです。」
と言いました。
「なんですと~!!!霊が見えるの???」
と、私は大げさに驚きました。
茶化したわけではなく、ほんとうに驚いたんです。
「そうです。子供の頃からいろんな霊が見えるんです。
これは遺伝的なものだと思うんですが、僕のお婆ちゃんはユタをしていたんです。」
ユタというのは沖縄の霊能者の事で、青森のイタコのようなものだと思います。
彼のお婆ちゃんはそのユタで、いろんな人達の相談にのっていたそうです。
彼は小さな頃からお婆さんのそばで、霊と語り合ったり相談にのったりする姿を見ていたそうですが、そのうち自分も霊と語り合えるようになったそうです。
とは言え、それは本人が望んだ事ではなく、寝ているとかってに霊が語りかけてきたり、授業中は霊が教室の中をウロウロするのが自然に見えるようになったそうです。
だもんで彼は睡眠不足になったり、物事に集中できなくて苦しんだそうで、
友達付き合いも上手くできず、あげくの果ては精神科の病院に相談に行って、睡眠薬や安定剤などの薬を処方してもらったそうです。
その頃私は江原啓之さんの本を読んで、憑依体質の深刻な苦労を理解していましたから、彼の言う苦労も素直に理解する事ができました。
『でも、そういう心霊相談ならお婆さんに相談すればいいのに……』
と思いましたから
「それで、俺に何を相談したいの?」と聞きなおしました。
「生き方です。
僕が高校を中退したのは、母親が麻薬に手をだして何もできなくなったからです。
父と母は離婚して母方に引き取られたのですが、母は麻薬にそまって育てられなくなったから、結局祖母の所に引き取られました。
そんな親や自分自身が嫌になって気力を失い、病院からもらった薬を一気に飲んで自殺未遂をした事もあります。
…でも死ねませんでした……」
『ふ~ん…なるほど…そりゃまたシンドイなぁ……』
「それで、僕は池田さんを見た時に『この人はいろんな経験のある人だ』と思いました。
それにあの本を借りた時に、霊の話をしても大丈夫な人だと確信したんです。
お願いします。どんな風に生きたらいいかアドバイスしてください。」
と真顔で言いました。
彼の真摯な表情や仕草を見ている時に、フッと私はインドの子供達の事を思い出しました。
自分が子供達を相手にしていた時に、どんな思いで過ごしてきたかという事です。
私は子供達の見本になる大人の姿を示す事。そして生きる目的は本当の幸せ、本当に素晴らしい自分自身を体験する事だという事を、子供達に伝えたいと思っていました。
それで、その目的については彼にしても然りだと思ったんです。
そうとは言っても彼はまだ17歳ですから、私と同じ年代の人に話すような事を言ったとしても、理解に苦しむ事が多いようです。
だから言葉だけではなく、彼の年代は体験から学ぶ事も多いだろうと感じました。
私自身、彼のような特異な存在からは学ぶ事が多々あります。
そして彼も次世代を担う大きな役割がある事を認識させられます。
地球温暖化や人口爆発。宗教対立や教育問題などなど、身近な事から世界中行き先不透明な現代にあって、次世代に明るい未来を引き継ぐべき立場にある私自身が、自分自身の在り方を見つめなおすべき時にあると思います。
彼の生き方を問いかける姿は、私自身の生き方を問いただされているように感じました。
それで、まだ彼に具体的なアドバイスはしていませんが、ゆっくりと付き合ってみて、彼の持っている特性を有効に生かせる生き方を、お互いに模索してみようかという気になりました。
彼との付き合いは、少し長くなりそうです。
(「マザーハウス(インド)」のボランティアを体験後、数年前までNPO法人「レインボー・ホーム」孤児の家 駐在員としてカルカッタに滞在。)
●うごめく手足やぬくもりや抱えた重さが
つい、この間のように蘇ります。
あの感触・・・しあわせがそこになくてどこにあるの。という感じ。
きっと、すべての根源はここにあるはず・・・。
でも、十分に味わえなかったなあ。
おばあちゃん、愉しんでくださいね! (S)
●赤ちゃんを見ると守りたい気持ちになりますが、
自分がピュアな気持ちを取り戻すようでもあります。
赤ちゃんがそばにいることで、自分の何かが守られているというか、
神様のような大きな力を身近に感じるような
不思議な気持ちになります。
赤ちゃんはちっちゃいのに、存在はとんでもなく大きいですよね。 (B)
●私ごとで恐縮ですが、孫が誕生して、赤ちゃんからいろんなメッセーSジをもらっている気がします。平和と幸せのシンボル、赤ちゃんパワーに圧倒されそうです!!(おおもと)
以前このコーナーに「学生達が大学の送迎バス内で、二人がけの席に一人ずつしか座らない不思議」について書いたことがありました。
送迎バスとはいえ大型の普通のバスです。二人がけのシートと一人用のシートとがあるのですが、二人がけの席の大半は一人ずつしか座っていません。私は遠慮なく座りますが、最初はたいへん違和感を感じました。一見周りを意識していないようでいてすごく意識している、なんともいえないある種の緊張感が感じられたからです。もっと気楽に座ったらいいのに…。
おまけに二つあるバスの出入り口付近はいつも混雑。奥に詰めようとしません。たまに見かねた運転手さんがマイクで促しますが、ほとんど奥へと動く気配はありません。(なんだこりゃ?)最初はビックリ、そのうちある時など「君たち奥へ詰めてって言われてるのがわかんないの?!」と思わず声が出そうになりました。(まあ、落ち着いて落ち着いて)「入り口付近が人でふさがれるとミラーが見えなくて危険だから」と運転手さんが注意しているのですが…。それだけ学生達の対人関係は難しいんだろうなあとちょっと気の毒な気もしたのです。
と言うようなことを以前書いたのですが、最近学生達と話していたら、その中の一人E君が、私と同じようなことを言いました。そうしたら同席していたU君も「僕も必ず空いていたら座るようにしている。あれはおかしいよなぁ。」と言っていたので、ホッとしました。(ああ、仲間がいた。学生の中にも変だなと思っていた人はいたんだ。)
その席でこんな話も出ました。学生3人と話していたのですが、熱血漢のE君が最近体験した一人旅のことや、出会いから学んだことなどについて熱く語ってくれました。
「自分が変わると、自分の周りの人が変わる。そうすると学校が変わる、学校が変わると地域が変わって、…」
すると、それまでずっと黙って聞いていたM君が「地域が変われば国が変わって、それで世界中が変わっていく…か」。一同、「そうだそうだ」と頷いていました。
作り話じゃないですよ。実際に最近体験したことです。そのくらい若い人は、ちょっとのきっかけで大きく変化して逆にエネルギーをくれます。
その瞬間が何より嬉しいです。(大学学生相談室非常勤カウンセラー 大本)