PAST ACTIVITY
タイトルは、新聞の「子育て相談』欄に載っていた評論家の斉藤次郎さんのこ とばです。
「元気が一番、ゆっくりやろう。」
何でもないひとことなんですけど、意外にこれが子どもに向かって言ってやれないんですよね(経験上、痛感!)。
このときの相談は小学生の子どもを持つお母さんからでした。小学校に上がった子どもが、ひらがなも数字も左右逆の字を書いたりして困っている。子どもは元気が一番と思って育ててきたのでお勉強はまったくさせてこなかったからだろうか、どうしたらいいでしょうかという相談でした。
それに対して斉藤次郎さんはこんなふうに答えています。
………
「『子どもは元気が一番』そう言ってくれる若いお母さんがいてくれるというだで、僕はうれしいです。…『し』を書くとき、上から下ろしてきたエンピツが一瞬止まって、意を決したように左に曲がるなんていうのを目の前で見ると、僕は注意するより、まず感動してしまいます。
その子は、下に線を伸ばしっ放しにしてはいけない、とわかっていたんです。
右か左か、どちらかに釣り針みたいに曲がったのでした。そして左を選ぶ。やったね!って言ってやりたくなるじゃありませんか。…」
………
子どもが字を書くときの真剣さを、こんなふうに見てくれるおとながそばにいてくれたら、その子はどんなに幸せなことでしょう。でもそのためには、おとなが子どもの息づかいや生活リズムを感じていないと、きっと難しいですね。
「早くしなさい」「ぐずぐずしないで」「急いで」と、おとながめまぐるしく走るような生活をしながら、そのままの勢いで子どもの勉強ぶりをのぞき込んだとき、ひらがな一文字にジックリと取り組む子どもに感動するのはたぶん至難の業です。いえ、たぶんじゃなくてまず無理です。
特急電車から鈍行に乗り換えるくらいにスピードを緩める必要がありそうです。そうやって窓の外の景色を眺めてみたら、周りの景色はいつもと違って見えてきそうです。それまでは見過ごしていた感動が、いろいろと見えてきそうです。
そうなると、子どもと過ごす時間はまさに宝物になります。二度とやってこない時間です。一見他愛ないもないことがどんなに貴重であることか。
今、子育て中のお父さんお母さんには、思いっきり子ども達と、「ささやかな感動」を分かち合ってほしいなと切にお願いします。
早く早くと近道をせかすよりも、ちょっと遠回りでも親子で道草しながら歩いていたら、「気がついたらこんなにたくさん歩いてきてしまった、近道よりもずっとよかったね」ということが、きっと体験できるに違いありません。子どもとは、そんな思いもよらない体験で、さまざまに人生を彩り、味わわせてくれる存在であることはまちがいなさそうです。
絵画の巨匠ピカソが絵に行き詰まったとき、、転機となったのは、自分の子ども達と一緒に絵を描いて遊んだことだったのだそうです。子ども達が無心に絵に向かうエネルギーに触発されて、ピカソは自分の絵に新境地を拓いたと言います。
子どもってホントにすごい!
タイトルも堅いし、地味な番組なのですが、見始めると不思議に引き込まれてしまいます。内容は、さまざまなハンディを背負った方や家族、それを支える人たちの取り組みを追ったものです。
今までに高齢者、ガン・うつなど心身の病、発達障害(LD・ADHD・自閉症)などが取り上げられています。テーマは重いけど、ちっとも暗くないんですよ。
見終わったときホッと気持ちがなごんで、セカセカしていた自分を反省します。私はこの番組を見ると、子どもたちやハンディを背負った人たちの生活リズムについて考えさせられます。そして、本当に大事なものが何か、もしかしたら自分はせわしない日常の中で忘れてしまっていないかと気づかせてくれます。
よかったらご覧になってみてください。
● 高校時代
僕は自分に自信がなかった。どう友達と接したらいいかわからなくて、昼休みは図書館に逃げ込んでた時期もあった。学校ではひたすら暗かった。毎日物足りなくてその結果夜更かしして、寝不足でどんよりしたまま学校へ。けど、学校が終わってテニス部の練習になると、人が変わったように明るくなって良く喋って楽しかった。自分でも驚くほど違うんだ。
あのときから三年が経ち、自分はまったく性格は違うし、環境や興味も変わり、少し自信もついた。でも一つ振り返って思うのは、あの時悩んで悩んで生きてきた自分だからこそ、いまこうしていまだ悩みながらも楽しく生きている自分がいるんだ、ということ。 (S)
●たまたま大阪国際平和会館てところに着きまして、展示場に時間あったから行きました。
そこでは主に大阪大空襲を取り上げて悲惨さを伝えていました。
東京の知識に偏っていたため、大阪でも度重なる空襲があった事は驚きました。また、日本全国で空襲があったんですね、僕は知らなかった。大都市だけかと思ってた。でもやっぱり京都は死者が少なかったなあ。
で、違うフロアには一転して加害者側の事情を伝えていた、つまり日露日清戦争あたりからの東南アジアで日本がしたこと。ひどすぎて見てて辛かった。結局、戦争はやってやられての、もみくちゃ状態やねんな。
今回見て良かったのは、意外と知った気になってた第一次第二次世界大戦の事が様々な角度から見られたこと。
三点
1、今回みたいな戦争の悲惨さを伝えるフォーラムは本当に意味があるのか?もし僕が企画者だったら、『今』!世界、日本で何が起きているか、自分達が普通に生活している横でいかに危険な事が起きているか、それにほとんどのスペースを割きます。
ぶっちゃけ言ってしまえば、50年から100年前の事なんていくら言われても若者に は実感ないんです。へえ、昔は悲惨『だった』んだなあって思うそれ自体怖い事、で的外れ(`ヘ´) 。過去のことになってしまうから。
今もあんまり変わらないんだって事を伝えなきゃ!
歴史の授業がうまい先生は必ず今現在の社会問題を話す。それに絡めて歴史を振り返る…それが歴史の本質的な勉強の仕方だよ。
僕がフォーラムの企画者だったら、めっちゃブルーになるけど、暴力団・麻薬・AV 風俗人身売買・イラクなど各地での戦争・まだある差別事情などアングラなすべてを調べまくって、出す。かつ、希望も与える!
●一度きり
僕はやりたいことがたくさんある。一生は短いからそんないろいろできないってよく言うけど、人生が何回もあるならその考えはオッケーだけど、一回きりなんだから全部やるべきだ。
●異動して2年目となり、課題がたくさん見えてきました。単学級で一人でやらなければなりません。少ない人数の職員では中々研修にも行けず、それぞれで動くので質問もできません。こんな授業でいいのかなぁ…と思う日々が増えました。
平井先生に聞きたいことがたくさんでてきました。また、平井先生のアイデアがたくさん見たいです。手塩研が恋しいです。年に1回でもいいので何とか教えていただく機会はもてないでしょうか。夏休みの合宿が懐かしいです。
国語も図工も音楽も、たくさんたくさん質問しておけばよかったなぁ…。
平井先生からザックザクと宝をほりだしたいです。
まだ6年目なのに陸の孤島の小学校へ放り出された気分です。一人前として動くのはまだキツいです。学校が頼れないなら外だと思って連絡してみました。
(小学校教師)
●現在、私は○○の中学校に籍を置いております。
病休続きで三分の一近くは学校にはおりませんが、来年度にはこれも何とかなるよう上司と交渉しております。
現在の学校は、恐らくどの校種も日常の業務や人間関係に苦しみ、教員は自分の技術を向上させる意欲など起こらない状況にあるのではないかと思います。初任者の同僚からもその様な事例を聴く事もありました。まず、教員自身が癒される事、そしてステップアップにつながる力を付ける為の体力を持つ事、その様な場があればいいなと思いました。
病休中、何もする事がないので、リハビリがてらに大型自動車免許を取得しようと、今日から教習に入りました。
しかし普通自動車よりもかなり大きな車体に四苦八苦しながら、今日の教習を終えてきました。苦しさを感じ、家に帰って自分を見つめなおすと、幼い頃抱いていた「バスの運転手になりたい」という将来像が呼び起こされてきました。
正直に言えば、現在の教職も含め、自分の将来像に浮かんできたものは何一つかなってはいませんでした。しかし、この教習は、自分が描いた将来像を現実的に具現化出来る第一歩だということに気が付きました。教職を辞するかどうかは別として、今一度、自分の描いた夢を実現する第一歩として、明日からの教習に臨みたいと思います。
巨体を操る技術は、大変難しいものがあります。でも、きっと意のままに操れる日を目指し、明日からも挑みたいと思います。
人と接し、その良さが引き出されていく教職は私にとって非常に魅力ある仕事です。できれば、定年まで教職にて自分の人生を全うしたいところですが、それが叶わなければ転職も考えています。暫くは、荷物相手の修行のみになりますが、職場は自分との闘い、もしかしたらその方が合っているのかもしれません。あと三年は、教職で自分を試そうと思います。
合っていなければ、潔く教職を辞し、皆に喜んでもらえる仕事に転職しようと思います。
学生時代、福祉職のボランティアにも長年参加していたので、今、その後の道筋としてそちらへの転職も考えています。今の教習も、その時に役立つのではないかと思います。
以前、福祉職に就いていた人から「教員退職者は頭が高くて扱いに困る」という話を聴いた事があります。そうなるくらいなら、教職にこだわらず色々な世界を見て、教職を全うしたとしてもその様な事を言わせない人材でありたいと思います。
今は、学校のことは考えず、自分の養生に専念していますが、何よりの薬が、たまに顔を出した時の「先生、早く学校に戻ってきてよ。(今年度の学年担当で、昨年度教科を教えた生徒から)」、「先生が戻ってくるの、俺待ってるからね(昨年担当した学年の男子生徒より)」、「先生が顧問のほうがよかった(昨年度まで担当していた部活の生徒のメールより)」等、生徒達の心だと思う今日この頃です。生徒は、どこでも変らないというのが信条ですが、やはり学校へ行くたびに嬉しくなります。
(二日後)
お陰様で修了検定に無事合格、仮免許が取れました。来週からは一般路上での教習が始まります。今から楽しみでなりません。今年の夏休みは、私の原点に戻り、△△市の社会福祉施設でボランティアをやろうと思っています。ここは、「人が人と心を通い合わせる事」を私に教えてくれた場所です。もう一度、ここに立ち返り、自分を観てみようと思います。?
(中学校教師)
春の陽気に誘われて…とでも言いたいほどにぽかぽかの駅西口に降り立ち、会場のビルへ。エレベーターには乗らず、階段をトントントンと気持ちよく3階へ。 案内板に瞑想会の表示を見つけて「ホッ~!」。どこに行くにも迷子になる私が直行できた!!これはすごいこと!
会場が和室・・・落ち着いた雰囲気の入り口にまた「ホッ~!」。
扉を開けて靴を脱ぎかけていたら「さあさあ、お入りください!」となんとも柔和な落ち着きのある雰囲気の男性がお声をかけてくださり、またしても「ホッ~!」。「この方が瞑想会の導師?(というのか案内役というのかわからないけど)」と思いながらなぜか安堵…。
何か動作をする前に、例えばCDを聞かせてくださるにしても、アロマオイルをつけて下さるにしても、わかりやすく説明してくださる。
何事につけ初めてのことは心配が伴いがちだけれど、全くそれがない。
おう、すべて言われるがままについていけば良いのねってな具合の心境に。
話しているその様からさえ安堵を覚えるのは・・うれしい出会いでした。
立って関節をリラックスさせる運動をしてから、自分がらく~な体勢をとって、ただただ座る。
目を閉じる・・
(こういうたわいのない仕種・動作さえ日常の生活からは切り離されている感がある生活をしてきた私。日本の風土に根付いたものがたくさんあるというに、禅に由来することがその例だと…これからはいろいろな見方が変りそうでうれしい。)
浮かぶ事柄のすべてをあるがままに見つめて受ける。
聞こえる音や身を包む空気も、すべてを自分に入ることを許して受ける。
意識を集中させつつも、過大にとらわれないレベルを感得するには至らないながら、体も心もくつろいでいくのがわかる。ありのままの自分を受け入れる瞬間。
何事につけ気持ちを縛りがちな私を解放するにはうってつけの手段。
心の平安こそ求めていたもの。続けていれば得られそうな気がする。
頭でわかるのでなく、体でわかる。こういうことって大切にしたいと思いました。
ハーブの香りやリラックスできる音楽も大いなる助けになることを感じました。
2ヶ月に一度位の割合での開催とのこと。次回が楽しみです。
それまで毎日、できるだけ毎日、静かに何もせず、自分を見つめる時間を作ってみようって思いました。
瞑想会終了後のお茶会での皆様とのやりとり、これもとてもよかったです。
始めから終わりまで、すべてセットになってるから、よかった!の感が倍増するのでしょう。
次回もぜひお仲間に入れてくださいますようお願いします。
いつも夫と朝の散歩に出かけ、途中で別れて彼は出勤。今日は早速に散歩から帰宅して太極拳・庭の草取り、そして休憩後に「瞑想」10分。
盛りだくさんながら、メニューに取り入れ、早速やってみました。
なんだか昨日の余韻がスムーズに「瞑想」もどき?にいざなってくれました。
明日も多分、できそうな予感。なんだかこれだけでハッピーですね。(A)
やはり、隔月のワークショップは自分と向き合う絶好の機会となっている☆
たとえば勉強している時、あっちゃこっちゃに意識が奪われる。「なんか集中できないんだよな」というのがまさにそんな状況。それが瞑想会では肌で感じられる。
まずは身体をほぐしてからスタート。手首やひじや肩や首を回し、リラックスを促す。シンプルな方法は目をつぶり、深呼吸を数回終えてから自分の中に意識を向ける。
言葉でいうよりは実際に体験することで得られることが大きい。日常生活では何もしないで自分と真っ向から向き合う機会は心がけないと皆無に等しいからだ。何気なくやったつもりでいたり、気晴らしに近いことをしているにすぎないと個人的に感じている。
そこから抜け出す一歩が瞑想で生まれる。普段いかに意識が他のところにいて、思考が流れてないのかがよくわかる。気づくことで、同じことを日常生活の中でしても深みが増してくるのである。
これを機会にまた、ただ何もしない時間を一日のうちで確保していこうと思う。(T)
トランプに大貧民というゲームがある。あるとき相談室で学生の一人が面白いことを言った。「友達との会話は大貧民みたいだ」。「大貧民」は、まず自分以外の人の広げたカードを見て、それによって最後に自分の出すカードを決める。それと同じように、話をするときは周りの人の意見を一通り聞いてから、それに合わせて自分の言うことを決めるのだという。なるほど大貧民か、うまいこと言うなぁ。
でも、あまり喜んでばかりもいられない。確かに「ダイヒンミン」の時があっても良いとは思う。でもいつもいつも「ダイヒンミン」をやっていたらまずい。
みんなの意見に合わせてばかりいると、自分の意見より相手の意見の方が価値があると、毎回自分に繰り返し学習させているのと同じだからだ。
たとえ周りの人と意見が違っても、自分の思ったことを表現する、それが自分を認め、自分を尊重することになる。そうやって自分を表現する体験が、自分を尊重することになり、次第に自分に自信をもたらすことにもつながるのだ。
事実彼はこうも言った。「自信のある人なんているんですか?!」
自信のある人がいるなんて、そんなこと僕には信じられない!…というように彼は目をパチクリさせた。それを聞いた私の目もパチクリだった。
「アサーション・トレーニング」というコミュニケーション・トレーニングがある。相手と自分、双方を尊重した自己表現のためのトレーニングだ。その考え方の基本は、人間は誰でも自分の思ったことを自由に表現する権利があるという考えに基づいている。ここでいう権利とは、何かができたら与えられるとか、義務を果たしたら与えられるといった性質の権利ではない。人種・性別・年齢・能力などいっさいに関わりなく、すべての人に平等に与えられた権利=、つまり基本的人権だ。私達誰もがオギャーと生まれた瞬間から、生まれ持っている権利。
この自己表現と自信はとても密接なつながりがある。この自己表現の権利を使わないでいると、いつのまにか自信をなくしてしまうことにもなるのだ。
最近の若者は無気力だと言われるが、そう一概には言えないと思う。ジックリ話を聞くと、誰の中にも意欲や希望を見つけることができる。たとえそれが消え入りそうに小さなものであっても、キッカケさえあればきっと変化のチャンスは来る。
「ダイヒンミン」の彼も小学校時代は積極的だったという。大学生活で自分からカードを出すようなコミュニケーションを、ぜひ身につけてくれたらと願っている。
(大本)
あるメーリングリストがご縁で、名古屋のOさんに「セレニティ通信」をお送りするようになって数年になります。Oさんは社会問題の多岐にわたって活躍されるお元気なシルバー世代。そのOさんがこのほど会報「ほっこりー」を発行されるに当たり「セレニティ通信」の体裁を参考にしてくださったそうです。「セレニティ通信」はA5判の大きさ(多くは12ページ仕立て)です。もとはといえば大判を印刷するプリンタがないための苦肉の策のA4二つ折りでしたが、思わぬ所でお役に立てて嬉しいです。
(ちなみに「ほっこりー」は京都ことばの包み込むような温かさを感じるときに使う 「ほっこり」からとられたそうです。優しいネーミングですね。)
いつも編集しながら、これでいいのかなあ、原稿やお便りをくれた方の意図をしっかりお伝えできているかなぁと、迷いつつ試行錯誤の中で作っています。
「ほっこりー」に励まされて、セレニティからも、役立つ情報を発信できたらと思います。簡単な感想でもいただけるとものすごく嬉しいです…。お便り、お待ちしています。