PAST ACTIVITY
前回の「通信」から、あっと言う間に、一年近くご無沙汰してしまいました。
実は、昨年の暮れ、本の執筆の話をいただき、資料を整理し、準備にかかったのが年明け。大学の春休みを利用して書き上げれば、新緑の頃には「通信」も発行できそう、などと勝手に予定を組んでいました。が、諸事情から、本の校了が6月半ばになり、ようやくこの9月に刊行の運びとなりました。(本のお知らせは最終ページに)
そのようなわけで、「年が明け、気づいたら秋になっていた」…そんな感覚に陥っています。すっかり失礼して、申し訳ありませんでした。
本のお話をいただいたとき、ささやかな活動でも、あきらめずに続けてきて良かったとしみじみ思いました。同時にこれは、今までセレニティの活動に共感をお寄せくださり、ご協力とご支援をくださった皆さまとの交流の中からいただいた貴重な機会だとも思いました。より多くの方にセレニティの思いが伝わっていきますように、と願いつつ執筆しました。
それにしても本を書くのって難しいですね。一生懸命とりくみましたが、同時につくづく非力も感じました。「もっと表現力があったら」とか、「もっとこうできたら」という課題は尽きません。でも、私なりの提言もできたと思うので、ぜひご一読くださいませ。少しでもお役立ていただけたらうれしいです。
何はともあれ、これを一里塚として、これからもセレニティらしく(?)、無理せずにやっていかれたらと、気持ちを新たにしています。
ところで先日、セレニティの活動の延長で、茨城の自然農法の菜園にお邪魔しました。おいしい空気をいっぱい吸ってきました。
「生き返る」とは、まさにこのことですね!
緑の中で元気な野菜に囲まれ深呼吸するだけで、もうなんにもいらないんです!
ああ、人間ってこうでなくっちゃ、と…。
ふだんつい忘れがちのこの感覚、しっかり思い出して、これからもトコトコ歩いていくつもりです。
(セレニティ・カウンセリングルーム代表)
●こんにちは、大本先生。
うちのKも夏休みに入り、おばあちゃんと戦う日々が続いています。
この間も、仕事から帰ってきた私をつかまえて、
「ママ、ババにここのところ引っ掻かれたよ。見て見てはれているでしょ。孫を引っ掻くなんてひどいよね。」
と不満そうに話しかけてきました。ことの真相をきいてみると、2階のリビングで友達と遊んでいたところ、おばあちゃんがズカズカ部屋に入ってきて、出窓の窓を開けようとしたそうです。
その時、Kは、
「ここは僕の部屋なのだから、かってに開けないで!」
とおばあちゃんに言ったそうです。そうしたら、
「こんな暑い日なんだから、窓を開けて風を入れなくちゃダメよ。」と言って、強引に開けてしまったそうです。そこで、Kはキレて得意技の足蹴りをおばあちゃんにお見舞いして、その仕返しに腕を引っ掻かれたというわけです。
「ババは、いつも自分の部屋と同じように2階の僕たちの部屋でも自分の思うようにするんだよ。それっておかしいよね。こっちはいい気持ちしないよ。ママ」
と真剣な顔つきで私に同調を求める息子の顔を見ながら、私はまじめに頷き返していました。しかし、内心ではうれしいという感情がわき出てきました。
昨年までは、こういう状況でKは、決まって癇癪をおこし泣き出していましたが、それとは違って、ちゃんと他人と自分の境界を意識できるようになり、それを私に説明してくれました。私は、自然と笑みがこぼれてしまいました。今年の夏は、ちょっぴり蒸し暑さも負担にならない気がしています。(K.S)
● 先日終わったドラマですが、木村拓哉さんが主演の「CHANGE・チェンジ」という政治ドラマがありました。
私の家庭では、テレビドラマはよく見ます。特に、木村拓哉さんのものは、私も妻も子供も好きですので、大抵のものは見ています。私が木村さんの良いと思うところは、人に媚びないような雰囲気が有るところなのですが、今回は扱っているテーマが政治なだけに、割と孤独な役が多い彼には、やや似つかわしくないような感じがしたので、私は見ていませんでした。
でも、はじめから見ていた妻に、とても良い場面が沢山あるので、是非見るようにと強く進められました。
言われるままに見てみると、私の偏見とは異なり、良い場面が随所にありました。その中でも、妻が取り分けすばらしいという場面があるのですが、それを見た私も、しばらくぶりに感動させてもらいました。
ご覧になっていた方には恐縮ですが、そうでない方もいらっしゃると思うので、是非、ご紹介させて下さい。
その場面は、第五話くらいだったと思います。アメリカの通商代表が、日米構造協議に来日し、総理大臣である木村拓哉と交渉する場面があります。アメリカの通商代表は、事前の情報で、新しい総理大臣がお飾りの人形であるとの情報を得ていることから、アメリカに有利なように、簡単に交渉が進むものと思いこんでいるのですが、実際にはそうはいきません。
それは、政治は素人の総理ですが、毎日きちっと勉強して、交渉の問題点を把握していたからなのです。そして、その交渉の際に、小学校5年生の教師をしていた総理がこんなことを言うのです。(実際の台詞を覚えているわけではないので、台詞と異なる部分はご容赦ください。)
総理(木村)が、
「私は前に小学校5年生の先生をしていたのですが、それがとにかくよく喧嘩するんですよね。そんなときに私は徹底的に話し合いをさせるんです。するとどうなるか分かりますか?」というようなことを言います。
すると、確か補佐官だったと思いますが、このようなことを言います。
「……。話せばわかり合えるんじゃないですか。」
すると、総理が
「いいえ違うんです。全然わかり合えないことが分かるんです。でも、徹底的に話し合わせることで、お互いが違うと言うことに気付くんです。そうすると、喧嘩もしなくなるんです。」
以上のような主旨のやりとりの場面があった後、アメリカの通商代表は、総理に対する敬意を表し、後日改めて出直させて頂くよう総理に伝え、その場を後にします。
皆さん、どうお感じになりますか?
今までのドラマの感覚だと、「話せば分かりあえる。」という台詞の方が一般的ではないでしょうか?でも、この感覚というのは、ひょっとしたら相手に強者の論理を押しつける危険性がないでしょうか?
私は、この台詞を聞いたとき、この感覚こそ、子供達に教えてあげるべき最も重要な感覚だと思いましたし、優しいけどスパッと言い切る木村拓哉さんの言い方にとても共感を覚えました。
我々人間は、社会性のある生き物ですから、社会と関わりなくして生きてゆくことは出来ません。でも、社会生活を営むと言うことは、集団の中に取り込まれると言うことです。
ここで勘違いしてはいけないのは、集団というのは、あくまでも全て違う個によって形成されており、集団(国家も同義です)などというものは、個が生きてゆくための単なる便宜上の器にしか過ぎず、集団(社会)が先にあって、個が成立するのではないということです。このことを、子供にも分かりやすく伝えてくれた、とても良い場面だったと思います。(M.S)
(次の三つは、お母さん達から届いたケータイ・メールです。陰ながら応援しています!)
●先生、ほのぼの日常を思い出すのは、次女との事です…。私が疲れていると、手紙をくれて励ましてくれます。
長女は、思春期。しかも反抗期真最中で、その対応には、頭を抱えています…。
できたら、「通信」の皆様にアドバイスを聞きたいです!
思春期は新幹線でヒトットビできたらいいな、本当にね…母の本音。 (A.)
●自分が幼い頃、優しい笑顔のお母さんになりたい、どうして私を信じてくれないの?と思いながら暮らしました。母親がニコニコしている日は、理由もなく楽しくて…嬉しくて…。
いざ自分が母親になると、まず物にあふれている世の中で暮らす事に疲れ…やはり、生活に不安をもつ必要のない環境の中で子育てしたい、と思いますが、そんな事を解消する前に子は巣立ってしまいます。
我が家の娘達は、やはり私が穏やかな日は、堰を切ったように普段聞いて欲しい事やら、了解をえたい難題やらを話してきますから、子等の目は確かで、すごく私を観察しているな~と思います。
また、旅に出た時の目の輝きは今迄見た事がないくらい輝いていて…、やはり母親がいかにリラックスしていられるか自分でその方法を学ぶ事だと思います…。
自分の考えをわかって欲しいというよりも、たくさんの人に会う中で、子等は学びがあるようです。旅に出た時に、御手洗いに席をはずし戻る時、人見知りしていた長女が、楽しそうにガイドさんやらと話している姿が驚きだったり…連れてきた事は間違いではないんだな~と。
私は完璧ママでないから、たくさんの人に子を見ていただきながら会話を持つことを大切にしていきたいと思います…。(A.T)
(「完璧ママ」になる必要はないですよ、なってはだめですよ (^ ^)
~完璧になれないババより)
● …前略…
すぐ、「犯人の心の闇」って、ヤミヤミyummy、って旨いのかよ!いやオイシイネタだろうけど、彼というより社会の闇だよなぁ、と思う。
問題行動や病気や犯罪って時代の空気を察知しちゃった人が行動で表現するみたいな面があるじゃないですか、大多数の人が社会から外れる事を恐れていて、親も子供が「負け組」にならないように必死で「いい子」にさせようと、枠の中に入れようと追いたてて育てて、社会に出ても、いつも負けないように、って駆り立てられて、ってのが辛いやね。
利益とか成果を社会全体が常に求めていて、立ち止まったり、後退する事を許さないというか、環境とかロハスさえビジネスだし。
勉強だけが全てでは無いといいつつ、その代わりに何かしらで優れていないとダメだったりして、全てに明確な形ある意味とか皆が認めるような価値を求められてしまって、周りが認めない者は存在を許されないような雰囲気があるですよ。
と言ってる私も結局、焦ってるんだけど。
で、秋葉原も、オタクが観光価値あるとか、先端技術との繋がりで活性化とかだかなんか知らないけど、再開発されちゃって、前みたくのんびりしたそれでいて雑多な雰囲気がなくなっちゃってつまらないッス。
個人的には秋葉原デパートが好きだったのになくなっちゃってつまらない~。
街や世の中からどんどん人の匂いや体温がなくなってロボットの国になっちゃってて嫌だなぁ。
昔のまま営業してる乾物屋さんが一軒だけあるのですが、なくなって欲しくないなぁ。 (弘子)
●大本さんお元気ですか?
私は、今年も学年に恵まれ気持ちは楽しく、
体はへとへとでやっています。
今年の4月1日は、私にとって大きな一日でした。
素直に正直に、「嫌です」と伝えたのです。
無責任な退職校長は、私を「4年担任」に推しました。
それを受けて新校長が決めそうになったその時、
私のもと学年主任さんが「それは本人の意向とかなり違う」と
言ってくださったのです。(この会議の場でその意見を言うのは
かなり大変なことです。学年主任さんに感謝です。)
ならば本人の気持ちを聞いてみようということになり、
校長室に呼ばれました。
だってあれだけ「困っているんです」と訴え、
その都度クラスの現状を報告したのに、
もと校長先生は1回も教室には来なかったのですよ~
それでいて、「この人は大丈夫です」
なんて無責任に言っちゃっていいのでしょうか?
なので「嫌です」と言って、それが認められて、
4年担任ではなくなりました。
でも3年担任になりました。
その日はちょっぴり落ち込みました。
嫌ですというのは、自分で言うことはなかなかないからです。
それに、私が自分の気持ちを伝えたことで、教員3年目の同僚が
4年担任になりました。その子も落ち込んでいたので、その姿を見て・・・
(その同僚は「どこでもいい」と希望を出していたのですが)
でも、周りの人たちが、「それでよかったんだよ」と、
通りがかるときにボソッ、ボソッと声をかけてくれたので安心できました。
(プチトマト)
今年の4月、私が働いていたインド・コルカタの日本事務局から、一通の葉書が送られてきました。NPO総会の招待状でした。文末には肉筆で、
『ホームの子供達は、池田さんに会いたがっています』と書かれていました。
この一文は、私の心にグサっと突き刺さるものでした。
私も子供達に会いたい。
そして、この子達の幸せな未来を確実なものにしてあげたい。そうした私の日頃の気持ちは、枯草に火がついたように一気に激しくなり、心臓の鼓動がドクドクと激しくなりました。
(編注:池田さんは、インドの孤児養育施設を運営する日本のNPO(非営利活動法人)の一員として、コルカタで現地スタッフとして働いた後、帰国。現在はスーパバイザーとして関わる)
私にそういう気持ちを強くさせたのは、私がホームを離れた後、現場の状況は悪化の一途を辿っていたからです。私が駐在していた頃は、私はホーム内に住んでいましたから、インド人スタッフは私の前で理不尽な行いをすることはありませんでした。しかし私が離れた後、一番変貌を遂げたのはインド人スタッフのプレジデント(代表者)でした。
彼は50代半ばを越える弁護士を生業としている人物でしたが、ホームの女性スタッフの一人を愛人にしてしまい、子供達に対する暴力を躾けの名目で平気で行うようになっていました。彼はホーム内にあっては絶対権力者でしたから、彼の行いを諌めるどころかその理不尽な行いを、彼の指示に基づいて行うスタッフも出てきました。
私がいた頃であれば、絶対に起こり得ないことでした。
そういう現状にもかかわらず、日本のNPO法人の理事会は、その状況を把握していませんでした。会員には『ホームは全て上手くいっている』という表面的な報告のみで、穏便に会費を集めていたのです。インドと日本を定期的に行き来して、現地の状況を知っていたはずの理事長が、理事会に正しい報告をしていなかったためです。
見かねた私がNPO総会で、「理事長が正しい報告をしていない」「彼が理事長であるかぎり子供達は不幸になる」と爆弾発言をしたことで、理事達も運営改革と現地ホームの法人見直しの必要性を真剣に考え始めました。私もスーパーバイザーとして関わることにしました。
ここまで進んだとは言え、現地の状況が改善されているわけではありませんでしたから、私の心は子供達のことが心配でたまりませんでした。
それで何度もインド・コルカタの夢を見たり、瞑想中の精神はインドに飛んでいました。
そんなある日、
「ホームのプレジデント(代表者)が退陣に追い込まれた」という連絡が飛び込んできました。インド人スタッフの中でそのプレジデントの一番の追随者が、彼の横暴な態度に業を煮やし、現地警察に訴え出たためでした。つまり一番の証拠掌握者が反旗を翻したのです。
それで、そのプレジデントはやむを得ず現地法人から退陣したのですが、ホームを去る前に彼は子供達に対して、捨て台詞を残して出て行ったそうです。
「お前達は絶対に幸せになる事はできない!
せいぜい乞食になってその辺をうろつき回るのが精一杯だ!」と。
それは子供達の心を引き裂く言葉だったようで、子供達が私に会いたいと強く願うようになったのはその頃のようです。
そんな子供達のことを思うと、私の心は張り裂けるほど子供達の幸せを願い、そして祈りました。今年4月のことです。
それから3ヶ月過ぎた今年の7月、嬉しい連絡がインドから届けられました。
新しいプレジデントが決まり、現地の改善方針が私に送られてきました。その人物は、過去にイギリスに6年間留学していた経験があり、国際的感覚とインドという国の社会悪を十分に理解している人でした。
つまり育児能力が不十分なうちに出産して、保護責任を放棄する傾向があること。個人の権利より民族主義が優先されること、などなどです。
それに基づき、ホームの運営改革の具体的項目が挙げられていましたが、最後に彼が現場管理者の必要項目として挙げた内容を読んで、私は涙が溢れてきました。
それは下記の項目です。
☆ The most important lesson which have learnt is that we have
to keep away personal ego and personal interests from Home .
(最も重要な事は、個人的なエゴと利益をホームから排除する事)
☆ The management of Home is there to serve the cause of the
children under the guidance of the Donors.
(ホームの管理は支援者の指導の下、子供達の奉仕に当たる事)
☆ There can be no scope for the personal interest of any person
in the management.
(誰も個人的利益を得る余地は無い)
☆ We have to work with the missionary zeal and sacrifice to serve the children .
(管理において我々は、子供達に対して慈愛の熱意と犠牲的精神で働く)
☆With this simple formula Home will get to see its Golden days.
(この単純な公式により、ホームは黄金時代を迎えるでしょう。)
これを読んだ時私は、
『俺が待ち望んでいたのは、まさにこの人だ!』
と思いました。
そして『神様ありがとう』
という気持ちが溢れて、涙が流れました。
勿論私はインドに行って子供達に会っているわけではありませんが、個人的な見返りを求めない愛に基づく願いなら、十分に効果は現れると思いました。
(時間はかかりますが)
そしてこの問題には加害者的存在もいるのですが、私が自分自身に言い聞かせていたことは、
〔 闇を攻めるのではなく、闇を照らす光となれ 〕という事でした。
これは私自身の学びとして大切なポイントだと思っています。
関係ない日本である。
衝撃的な事件が起こると、テレビの報道番組では、犯人の家族や過去を探って、いかに犯人が「異常」で「特殊」であるかを強調する。それを見て一般の人たちは、やはり異常な犯罪を起こすような人間は、普通じゃないんだ、ああいう人間は、自分たちとは関係ないと思って安心するという寸法である。
その一方で、「異常」な人間がすぐ近くにもいるかもしれないと不安になり、危険な人間を野放しにするな、少しでも怪しい人間は厳しく取り締まれと正義の声を上げる。
イラクで日本人が人質になったり殺されたりしたときも、多くの人がああいう「非常識」で「自分勝手」なことをする日本人がどんな目に遭おうが、それは「自己責任」であり自分とは関係ないと(まるで訓練されてきたかのように)反射的に反応した。だから彼らのような分別のない、人の迷惑を考えないような連中を、国が守る必要はないと国中が同意した。
ほかにもいろいろあるけれど、こうやって「関係ない」ものを排除してきて、私たちは今さぞや安心して快適な生活を送っていてもいいはずである。
でも、何か違う。いつも何か不安だ。いつも何かに急き立てられている。いつも何だかひとりぼっちだ。自分が人からも自然からも切り離されている。自分と世界をつないでいるのはインターネットの情報が行き来する細いケーブルだけ?
でも、他人が何だ。世界が何だ。所詮そんなものと私とは「関係ない」じゃないか。よその国や他人がどうなろうと知ったことか。
でも、切り離されているのは、果たして自分と外の世界だけか?
気がつくと、自分の体と心がばらばらだ。自分の体が自分のもののような気がしない。自分が今体験していることが他人のことのように感じられる。なんだか自分と自分の間に透明な膜があるような感じだ。
感情がない。うれしいのか悲しいのかよく分からない。今苦しいような気がするけれど、本当に苦しいのかよく分からない。何もかもが霧の中にあるようで、ぼーっとしていてはっきりしない。自分が今生きている実感がまったくない。
と言うような感覚が、つい最近まで私につきまとっていました。まあ、私はうつをやっているので、離人的な感覚は、病気のせいかもしれません。でも、最近、やっぱりすべてのものは「関係ある」と思うようになってきました。とは言っても、南米の一匹の蝶の羽ばたきが核ミサイルの発射に影響するという喩え話を素直に信じるには至っていませんが。それでも、人は、自分が体験したり見聞きするすべての事柄にいくらかの責任を持っているような気がします。
じゃあ、すべてのものは関係あるということとして、具体的に何をすればいいんだと聞かれても、私にもどうすればいいのかわかりません。ただ、あらゆるものがあらゆるものと関係しているということをいつも意識しているだけで、自然に行動も変わっていくのではないかと思います。
結局のところ、私が世界に対してできる唯一のことは、理解することだけのような気がしています。
…………
なんだかよくわからない終わり方をしていてすみません。なにしろ「関係ある」生き方を試し始めたばかりなので、まだなんとも言えないところなのです。
「別に~」
若い人と話していると、時々出て来る言葉です。
「別に~」、「別にないです」。
以前はあまり気にも留めなかったのですが、学生相談である学生と話していて、この言葉の意外な<効用>に気づきました。
その彼を仮にA君とします。A君は自分からどんどん話をするタイプではありません。そのかわり話すときは、ゆっくり言葉を選んで、理路整然と、正確に自分のことを伝えようとしているのがわかります。
あるとき、面談時間の終了間際に、「他に何か気になることや話しておきたいことはないかな?」と尋ねました。すると、「別に~」と首をかしげて、しばしの沈黙の後、「たいしたことではないんですが、一つだけ」と言って話し始めました。
そのA君の話は、確かにエピソードそのものはささいなことだったのですが、A君の気持ちがとてもよく表れていて、聴けてよかったと思う内容でした。最後の5分がキーポイントともいえる面談になりました。
以来、A君には帰り間際にひとこと、「他に何かない?」と訊くことにしました。そのたびにA君は、首をかしげて「別に~」と言いながら、しばし考えた後、大事なコメントを残して帰って行きます。気をつけてみるとこれはA君だけではないようなのです。
他の学生にも、帰り間際に尋ねてみると、「別にないですけど」と言いながら、ポロッと真情を吐露してくれたり、大事なことを話したりと言うことが多いのです。帰り間際にちょっと言えるのが、かえって良いのかもしれませんし、「たいしたことでなくてもいいから良かったら言ってみて」と言われると、安心して言えるのかもしれません。
「別にない」は、「特にはないけれど、ちょっとならあるよ」のサインでもあります。
そして、その「ちょっと」を聴いてみると、案外核心に触れるヒントだったりもします。
これは若者に限らず、誰にでもありそうですね。大したことじゃないけど、ちょっと話せて良かったなと思うことって。たいしたことでないうちに話せれば、悩みに至らずにすみますし…。
「別に~」と返事が返ってきたときは、案外それがコミュニケーションのチャンスになることもありそうですね。 (大本)
セレニティの初期から、教師研修会や瞑想会などさまざまな催しに参加してくださった小学校教師の浜田秀廣さんが、ご闘病のかいなく、6月に逝去されました。
最後にお会いしたのは昨年1月の手塩研。本当に残念でなりません。ここに掲載させていただいた以外にも、ご縁のあった方から温かいお悔やみの言葉が届いています。これも浜田先生のお人柄ゆえと思います。
今日までご縁をいただいたことに感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈りいたします。(大本)
●浜田先生。とにかく優しさ・真面目さ・一生懸命さが印象的な方でした。
瞑想会で「残りわずかの教師生活を精一杯やっていきたい」というようなお話を笑顔でされていたのを想い出しました。
改めて、「自分に与えられた限りある時間を大事にしよう」と考えさせられます。
浜田先生のご冥福をお祈りします。合掌。 (M)
●驚きました。今も先生と瞑想を共にした時のことが思い出されます。
もう一度ご一緒したかったです。
やさしくてご自分には厳しい方でしたね。
大本さん、めぐり合わせていただいてありがとうございました。(S)