PAST ACTIVITY
なまえをわすれたら「あそびましょ」でいいでしょ
(代田小一年すぎやまときお『全日本児童詩集』1955年刊)
この詩は、最近読んだある雑誌にとり上げられていたものです。 これを読んで私はしばらくの間、時間が止まったように釘付けになってしまいました。そして温かいものが、自分の中にゆっくりと広がっていくのを感じました。“安心“喜び” “笑顔”、そして “信頼”。
その記事の中で小宮山量平さんは、この詩について次のように書いています。
「児童詩誌《きりん》の刊行を長年つづけていた想い出の中でも、 この一年生の詩は格別に心にのこり、口ずさむたびに頬がゆるみます。」
そして詩人竹中郁さんの言葉を次のように紹介しています。
「こんな清らかなコトバは、天国からでもきこえてきはすまい。 人間同士の愛があってこそ生まれてくるのだ」
(『自然と人間』([自然と人間社]二○○四年八月号)
かつて子どもであった私たち。人とつながる言葉を持って生まれたはずなのに…。 いつしかものすごいスピードで子ども達をせきたて、多くの情報を詰め込んできたような気がします。私自身も子育ての中で、子どもたちの言葉にゆっくり耳を傾けていただろうかと、今でも痛みと共に振り返らずにはいられません。
ずっと昔ラジオで聴いて以来、忘れられない子どもの詩があります。
「おつきさま ぱんつもなんにもはかないで まんまる」
確か神津カンナさんが幼少の頃につくった詩ではなかったかと…。
これらの詩の作者に限らず、ひょっとしたら子ども達は誰も皆、毎日こんな宝石のような言葉をふりまきながら生活しているのかもしれません。私たちおとなは、それに目を留める余裕を持たず、気づいていないのですけれど…。
だとしたら、私たちは電気や水や食べ物を無駄にするのと同じくらい、大事なものを毎日とりこぼしている、そんなふうにも思えてきます。
子どもの言葉、子どもの感性、… 迷路の中に入ってしまった私たちおとなは今、子ども達から教わることがいっぱいあるような気がします。
《 新たな一歩 》
セレニティ・カウンセリングルームは、この秋一つのイベントを企画しました。 「1900km を結ぶ!音祭り-ここらでちょっと<ナカユクイ>-」 音楽や踊りのひとときを通して、新たな元気をとりもどす「ナカユクイ(宮古島方言で中憩い)」してみませんか? …そのような趣旨です。 音楽や踊りは、しばしば私たちに子どものような元気、そして勇気と希望をくれます。
今、世界には恐怖や不安をかき立てる悲しいできごとが次々と起こり、お金や権力の支配する社会の中で、力で解決しようとする声が大きくなるいっぽうです。でも、力の支配で、本当の幸せや平和をつくれないことは歴史がいやと言うほど証明しています。
私たち一人ひとりの中に、人への信頼を育て、人と人との豊かなつながりを求めることに全力を挙げて取り組むことが、平和な世界をつくるための最も近い、そして唯一の方法ではないでしょうか。 一人の力は決して小さくありません。信頼で人とつながったとき新たな希望をもたらしてくれます。
このような願いを込めて、まず私たち自身が元気で、ワクワク、生き生きする「音祭り」を企画しました。どうか一人でも多くの方にこの場を共有し、楽しい時間をお過ごしいただければ大変嬉しく思います。 ご参加を心よりお待ちしております。
塾の5年生の女の子と理想のホームページについて、ブレーンストーミングしていたときのことです。今までで一番うれしかったことを聞いたら、給食のおばさんが、アレルギーの彼女のために彼女の分だけ、材料を変えた料理を作ってくれたことだと涙をためて話してくれました。それまで、みんなといっしょに食べられなくて、残念だったのに、「この私のために作ってくれた」のです。
3年前の一回きりのことです。それでも、彼女の心に強烈に焼き付いているのです。 私も思わず、泣けてしまいました。 そしてこの経験が彼女を、とても優しい思いやりの溢れる子に成長させているのです。陰で苦しんでいる子を気遣い、いじめられている子をかばっています。
彼女に対して、『「いのち」って何だろうね?』と水を向けたら、『「つながり」じゃない?』って言うんです。 私は耳を疑いました。こんな小さな子からこんな言葉を聞くなんて。
一皿の給食の偉大さと、日常のふがいなさを思い、また泣けてきました。
突然ですが、私は日本に帰る事にしました。つまり、インドで働いていたNPO法人を辞める事にしたのです。カルカッタで過ごした3年間がどうのこうのよりも、子ども達、そしてインド人スタッフと過ごした3年間が、私にとってとても貴重な体験でした。 インド人スタッフとはいえ、子供の育て方、接し方について参考になったのですから、何よりも子ども達との生活が、私に沢山の学びをさせてくれたのだと思います。
様々な問題が起きて、悪戦苦闘した3年間でしたが、どれもこれも原因は幼稚で単純なことばかりです。特に、インド人の最高責任者が私利私欲の為にのみトップに執着するのは、子どものガキ大将と同じでした。彼は55才の弁護士ですが、ホームマザーの一人の女性と恋をして、深い関係にもなっているようでした。 どちらも結婚しているのですが、恋の炎はそんなことお構いなしのようです。私の前ではそのような素振りは見せないのですが、子ども達の前では大っぴらに恋を語り合っていたようです。そんな事を大きな子どもから聞きました。10才過ぎの女の子達です。
子どもが大人の真似をするのは良く分かりました。大人の様子をつぶさに見て、 それと同じ様な事をします。子どもが破廉恥な事をするのは、大人がするから。 子どもに喧嘩が絶えないのは、大人が喧嘩するから。子どもに礼儀がないのは、 大人に礼儀がないから。子どもが自分の物ばかり欲しがるのは、大人が自分の物ばかり欲しがるから。
その事は、子ども達と生活を共にしていると、間違いなく子どもは大人の真似をして成長しているという事が分かりました。
それなら、私はホームの中で、違う形の大人を見せてやろう!と決意しました。 まずは生活のリズムです。 早寝早起き、朝のお祈り。これは何はともあれ優先事項でした。 子ども達は、朝は毎日5:30に起床して顔を洗い歯磨きをして、お祈りの部屋に集合。 私は毎朝4:00に起床して5:00にはお祈りの部屋に入り、瞑想をしながら子どもが来るのを待ちます。子ども達は6:00頃にお祈りの部屋に入って来ますから、私の瞑想の真っ最中です。
お祈りの部屋に入ってきたからと言って、子ども達は静かにしていません。 ギャースカ、ピースカ、泣くはわめくは大騒ぎです。それでも私は静かに瞑想をます。そして、ほぼ全員が集まった頃合いを見計らって、マザーテレサが作った歌や世界平和のためのマントラを唱えたり、インドの国歌を歌ったりします。そして終わったら神様に有り難うございました、とお礼をしてから1日がスタートします。 これは3年間毎日くり返してやってきました。
それから食事の時間はきっちり守ります。ちゃんと全員が食堂に集まってから、 食事をはじめます。それぞれバラバラには食事はさせません。 私は子ども達には、分かち合いと助け合い、そして忍耐心を持ってほしいと思って接してきました。そして何よりも子ども達に伝えたかったのは、常に神様と共にあるという事です。
どこで何をしようと、神様から離れてできる事は何もないと思います。ですから常に神と共にあるという自覚を感じてほしいと思っていました。そのためには私自身その自覚と感覚を維持する必要があります。そのために、私にとって有効な方法は瞑想でした。私にとって瞑想は欠かすことのできない唯一の方法でした。ですから、それを子ども達に隠す事なくオープンにしていました。私の回りで泣こうが騒ごうが構わずに、自分の内側の神様に集中する事にしました。
私が子ども達に示した姿が、彼等の将来にどのような影響を与えるのか分かません。ですが私にできる最高の手段は、神と共にあろうとする大人の姿を見せてやる事だけでした。 私は瞑想の詳しい方法は知りません。習った事はありますが最高で10日間で、 それ以外は我流です。ですけど自分の内側にある世界はとても広大である事は分かりました。その世界に自分の根本が繋がっている事だけは間違いないという事は分かりました。その感覚を呼び戻す事によって全ての問題が解決され、全て幸福を感じる事ができると思います。
私は諸事情によりインドを離れて日本に帰国しますが、どこで何をしていようとやる事は同じです。多分今度は岩手に帰って、温泉に住み込みで皿洗いの仕事をするかもしれません。ですが子ども達が、あんな「変な事」をする日本人の叔父さんがいたという記憶を抱いてくれて、同じように神につながる努力をしてくれる事を願ってやみません。
インドから、最後の寄稿文を送ります。
(NPO法人「レインボーホーム」(孤児の家)駐在員)