PAST ACTIVITY
2004年3月、四日市の本屋さんが主催するワークショップで、子ども達は「平和のために自分にできること」は何かを考えた。表紙のことばもその一つだ。それらは「世界を平和にするための102の方法」という作品になった。
遊美術(あそびじゅつ…遊びと美術を組み合わせ、子ども達が絵やオブジェで自由に表現するワークショップ)に集まった小学1~6年生までの子ども達が取り組んだ。子ども達が自分の言葉で表現し、作品にするまでには、主催者の工夫と努力がある。発端は、イラク戦争時、スタッフの重盛ペンギンさんが投げかけた提案だ。
「また戦争するのかよ、なんで?」という疑問は、「オレたちはイラク戦争を止められなかったし、ゴジラを倒すような新兵器も持ってないけど、オレやったら平和のためにこれはできる、というのを描いてみようや」という提案になった。そして「自分の一番失いたくないもの」を子ども達は考えてきた。その延長上が今回のワークショップだ。
さらに今回、作品作りの前段階として、「クサいのはイヤ」だった重盛さんは、子ども達一人ひとりが自分に向き合えるよう「アローン・マシーン」を開発!(黒いポリ袋とビールケースがマシーンに変身。子ども達はこの中で一人ひとり自分に向き合った。スタッフのユーモア溢れる深い洞察に、ニンマリしつつ感心する。床に黒い物体がゴロゴロしている様は愉快。)
前置きが長くなってしまった。なんといってもこのワークショップの素晴らしさは、世界を平和にするために「自分にできる方法」という問いかけそのものだ。他人事として何かを提案することにはそれほど苦労はいらない。でも、自分に何ができるかとなったとき、本気で考えざるをえなくなる。
初めのうち子ども達は、自分に身近なこととしてこんなことを書いたそうだ。例えば、ガラス屋の子は「ドロボウに入られないよう、ガラスを三重にする。カギを三カ所つける。」商店街に住んでいる子は「お酒を飲んで道を歩くと、モノにあたってあぶない。」などだ。
そこからだんだん子ども達の目は自分から他人、そして外の世界へと広がっていき、次々といろいろな思いが描かれていった。字の書けない小さい子は平和と思う色を塗って、作品作りに参加した。できあがった作品は併設の喫茶店に展示された。
そのほんの一部をご紹介する。子どももおとなと同時代を生きているのだと実感。
私は「ウ~ン…」と考え、「クスリ」と笑い、「ドキッ」とさせられ、そして光を感じた。
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(月刊「自然と人間」2005年1月号vol.103 P10~P13 を参考にさせていただきました。)
メリーゴーランド遊美術 0593-51-8156 http://www.merry-go-round.co.jp
●手塩研の皆様お元気ですか?夏休みをエンジョイしていますか?思いっきり楽しんだ先生の顔を見て、9月1日、子どもたちはこの担任と2学期どんなわくわくに出会えるか、とっさに見抜きます。どうぞ、楽しんで、2月期の良いスタートを!
茨城の里山に移り住んで三年目,うこっけい14羽、名古屋コーチン2羽飼っています。今回はうこっけいだよりです。朝薄暗い4時ごろから鳴き声で目がさめます。5時には起きて,鳥小屋のドワを開けてやります。待っていましたとばかり9羽のうこっけいと、2羽の名古屋コーチンが飛び出して畑の虫や草をついばみます。露いっぱいの緑鮮やかな畑に、自由に遊ぶ真っ白なうこっけいの姿に見とれてしまいます。残り5羽の、うこっけいは、小屋の中にいます。覗くと、2羽の黄色いかえったばかりのヒヨコのそばにつきっきりで世話をするめん鳥1羽、他にはと見ると、上の方にある巣箱に、2羽めん鳥が卵を温めています。21日間、卵がかえるまでジーと抱いたまま飲まず食わず、他の鳥たちが、小屋の外の涼しい草むらで、楽しく自由なときを過ごしているのに、どんなに暑い日も、ジーと暖めている姿に頭が下がり感動します。母親の原点を見させてもらって、わが子育てを反省させられました。 (平井恵美子)
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※平井さんは昨年まで「手塩研」(小学校教師の教材作り・授業作りトレーニング)で講師をしてくださっていました。元小学校の先生で今は地元で、福祉分野や授業作りアドバザーとして活躍されています。ちなみに「手塩研(てしおけん)」は平井さんの命名です。手塩に掛けて教材を作り、授業を作る研修会です。「手塩にかけて」作られた教材と授業は、現職の先生方にアイデアと元気をくれます。定例の研修会は現在お休みしていますが、興味を持たれた方・また個人研修を希望される場合は、お気軽にセレニティまでご連絡ください。(O)
●お久しぶりです。原稿になるか分かりませんが、メールで送ります。
このメールが届いたのは、八ヶ岳林間学校の二日目でした。川遊びで、子ども達が水着で戯れている様子を見守っている時です。ホケーッとしていると、ブーという着信音。宿舎から次女宛ての送れなかったメールが届いたのかなと思いきや、セレニティからのメール。
ピーカン天気の青空の下、届いたメールに何か不思議なものを感じた一時でした。M..A )
※いやはや、林間学校の真っ最中に「セレニティ通信に原稿をお送り下さい」なんて、メールを送っていたんですね。失礼しました。でも、おかげで、とてもリアルな林間学校便りを垣間見ることができた気がします。川べりで子ども達を見守る先生の光景が目に浮かぶようです。夏休み、元気にお過ごし下さい。
(M.Aさん宛、おおもとの返信メール)
●さて、やっとやっと引越し終了で明日は前の所の引き渡しです。まだ荷物の山ですがたった数百M離れた所なのにずっと環境は良いです。騒音も少ないし、裏が昔からの国の煉瓦作りの建物や緑の沢山ある公園なのでほっとしてます。
前の明治通りに面したマンションでは虫はコバエ位だったのに、今の所はベランダに蝉やカナブンが来ます。ずっと人間らしい場所です。
排気ガスで床が黒くなる事もないし、窓を開けて夜寝られるなんて前の所では考えられない事です。騒音が凄くて体が緊張して眠れなかったので。1日窓を開けてると床が粉塵でザラザラだったし。多分常に体も心も緊張してたと思います。
今の所も音が無い訳ではないけど、ずっと違います。私は相変わらずですがいい場所の力を借りて少しずつでも変わっていけたら、と思います。今回の事でやはり人間は環境に左右されるな、とわかりました。(弘子)
●瞑想会では、音にあわせてハミングした後、目をつぶっていくという過程での瞑想が、自分で表現すると、うたた寝に入っていくような心地よさがありました。
最初につけてもらったミントの香りがしたオイルも好きです。
4つのタイプの瞑想も,踊っているときなど、「ああ、早く座りたい…」などと思いながら、座ったときや寝転がった時の心地よさが忘れられません。
そのような経験をした事が、これから少しでも運動をしようという気を起こしたのかもしれません。表現が難しいですね。(J.O20代)
●実際に瞑想に参加していろいろなことを感じました。
まず、最初に驚いたのは踊るということでした。瞑想には座禅のように静かにすわるというイメージがあったので、こんな瞑想もあるのだなと思いました。
ソハムさんが言っていた、「私たちが見ている木は半分だけで、実際は土の下にも根っこがある」という言葉にはなるほどと思いました。
自分でいつも自分自身に問いかけていたつもりだったのですが、ぜんぜんできていなかったことに気がつきました。
ただボーっとしているだけで、本当の自分に目をむけていなかったことに気がつきました。
最後のお茶会はとてもたのしかったです。
インドの瞑想大学(?)の話や、(物をねだって)ポケットに手を突っ込んでくる子供の話、興味深かったです。ただもう少しほかの方の話を聞く時間もほしかったです。
また、機会があれば行こうと思っています。(H.S20代)
●瞑想会って何年続いていますか。 私はほぼ毎回参加しています。
瞑想というと何それ、とかなんか怪しいと今でも言う人がいます。
私にとって終わったあとの大本さんやソハム(飯島さん・ファシリテーター)や参加者との楽しいおしゃべりやちょっとした気づきが一番です。
それから瞑想会の間のなごやかな、しかしちょっとした緊張が、体と精神に良い刺激です。
何か子供のころ田舎で過ごしたなつかしい思いがすることがあります。
自分一人では集中するのはなかなか難しいですがここでは少し深くなれます。
あと普段の生活でも思いが残っていて落ち着けたりして良いのかなとも。
今回の会場は綺麗な広い和室で最高でした。(I.M50代)
● 昨日はS大学大学院の言語文化研究科の学会でした。
嬉しいことがあったんですよ。それもアサーションの効果☆企画委員で懇親会の司会を任されて大好評だったんでーす♪周りもですが、私自身も自分の未知数にびっくり。そんな感じで普段なかなか接する機会のない他学科の教授の方々と一歩踏み込んだコミュニケーションがとれましたよん。
アサーション・トレーニングさま、さまです。 (大学院M)
●今日N先生と20分くらい話した。
最終的に「言ってくれてありがとう。」って言われたし、彼にとっても今「K」(所属先)の中で何が起こってるのか、どうゆう状態なのかわかってよかったみたい。
すごいすっきりしたね。
あらためておれは賢いと思った。(笑)
アサーションできるといいわあ。
言い方にもかなり気をつけたし。うふふ(学生S)
インドから帰ってきて、早1年が過ぎようとしています。
帰ってきて就職しましたが、職を転々としていまいました。
それで挙句の果ては、故郷の岩手を離れて今は愛知県の豊田市に引っ越してしまいました。働き口を得るためです。
お金も底をつき、日々の暮らしと支払いのために家計簿をつけながら、何とかやりくりしています。
それなのに、何故か気持ちは落ち込みません。
生活が苦しくなるであろうことは、インドを離れる時に覚悟していましたから、想定内と言えば想定内でした。
だけど現実的に就職難を体験したら不安や焦りは感じましたから、
『こりゃまたキッツなあ…』
と思った事もあります。
とは言え不安になるとしても30分か1時間ぐらいなもので、それを過ぎたら
『まあ何とかなるさ!』
と高をくくっています。
これは私が独身だからでしょうか。
家族を養う責任がないから、緊迫感がないのでしょうか。
そうかもしれません。
だけど、生活がいくら貧しくても、それが自分の価値を下げる要因にはならないと感じています。
それで自己嫌悪になることもないと思っています。
私がそう思うのは、何故自分が今生きているかという理由を知ることができたからだと思います。
私は30歳の頃に交通事故に合い、健忘症になったことがあります。
自分が車に轢かれる前に何をしていたのか、自分はどんな人間だったのか分からなくなってしまいました。それから入院生活を続けながら、自分探しの必要性を強く感じて、苦しんだことがあります。
記憶は戻ったものの、それでも何やらとても大切なことを忘れているような気がしていました。
どうして自分は事故にあっても死ななかったのか。
どうして今自分は生きているのか。
それが何よりも大切な問題であると感じていました。
それを何としても解明したいと思って、10年勤めた会社を辞めて東京に出ました。
32歳の時です。
それからセレニティで小島先生と大本さんに出会ってカウンセリングの素晴らしさを知り、インド人の医師に出会って伝承医学を学び、インドではマザーテレサの施設でボランティアをしました。
それからカルカッタで孤児院の施設で働いて、数十人の子供達の成長の手助けをしました。
それらをしてきた自分を振り返ってみると、常に自分は同じことをしていたことに気がつきました。
それは「自分に問いかけていた」ということです。
置かれた環境や、出会った人、新しい知識に対して自分は何を感じているか、自分の証に必要なことなのか、生きる目的に役立つものなのか、自分の生きる目的は何なのか。そう問い続けていました。
そして、必要であり役立つものであるという答えが返ってきたものには貪欲に追求しました。
そしてそれは自分の命の証に役立つものでした。
命の証は生きる証と置き換えてもいいですし、命という言葉は愛と置き換えてもいいと思います。
それを感じたのはマザーテレサの施設でボランティアをしていた時ですが、それを実感させてくれたのは子供達と過ごした日々でした。
私は子供達に対して自分自身が生きた証であることを望みました。
私は子供達に、生きる目的は幸せを体験することだと伝えました。
そしてそのためには助け合い、分け合って慈しむこと、それが幸せを体験するいい方法だと伝えたかったです。
その気持ちは今も変わりありません。
今は子供達と離れてしまいましたが、自分が子供達の生きた証になろうとする気持ちが、私自身に活力を与えてくれます。
どんなに貧しくても、人のためになることをする。
苦しむ人や希望を求める人には無関心でなく、関心をもって協力する。
それが私を自己嫌悪から救う生き方であり、愛にあふれた生きがいを感じる方法です。?
(元NPO「レインボーホーム(孤児の家)」インド駐在員)
ある朝、通勤途上のこと。電車のドアが開いて子ども達がドッと乗り込んできた。幼稚園かな?水色のうわっぱりを着ている。
「は~い、すわってくださ~い。」と言う先生の声で次々に空いていた座席が埋まる。ガラガラだった車内は可愛いざわめきで満たされた。
私の隣にも丸顔の男の子が座った。
座るやいなや私の顔を見上げて「こんにちは」とニコニコ。(仮にAくんとする)
「こんにちは。公園へ行くの?」と私。(電車は「○○公園」行き)
Aくん「ううん、プラネタリウム」
私「そう…、お弁当を持って?」(子ども達は水筒を下げ、背中にリュック)
Aくん「うん、」…「いいわね。(オバサンも行きたいなあ~)」
A「切符持ってるんだ。」(名札に挟んだ切符を取り出して見せてくれる)
A「ボク電車好きなんだ。」
「そう、じゃあ今日はよかったね。」 「うん」力強くうなずくAくん。
ところがそのとき、先生の声が車内に響く。「次の駅で降りま~す。」
Aくん「エエ~ッ?もぉお???もっと乗ってようよ。」
A「はやすぎ~、…新幹線よりはやい!」と切符をいじりながらブツブツ。
私は思わず噴き出しそうになる。「そうだね。近いからねえ」。
「はい、降りますよ~」と再び先生。
「行ってらっしゃい!」と私。 Aくん「行ってきます!」
「オバサンも降りるからね」 「え、どこ行くの?」
「お仕事 ♪」 Aくん「エェ~、今からぁ?」
「そうなのぉ、(私、苦笑)」 時刻は10時少し前。
電車のドアが開いて、私も子ども達もゾロゾロと降りた。
ちょっとほのぼのしたある朝のひととき。 (お)
ある日、Qちゃんのママから相談電話。
小学校1年生になったQちゃん。初めての夏休み、学校生活のいろいろ。ママの相談を聞くうちに、こんなお話が飛び出した。
この夏、Qちゃんは南の島に家族で旅行をした思い出が、とても印象深かったらしい。海辺で貝殻を拾って遊んだ、そんな思い出だ。
旅行から帰ったある日、Qちゃんが言った。
「ボク、またあの貝に会いたい。」
そう言って30分以上も、「また飛行機であの貝に会いに行こう」とせがんでママを困らせたとか。
「そんなこと現実には不可能ですし、困りました」と困惑したママの声を聞きながら、私は何だか嬉しくなってしまった(Qちゃんのママ、失礼!)。
…Qちゃんの会いたかった貝はどんな貝かな?夏休みの宿題がまだだったら、
貝のお話を絵に描いてみてもいいね。いつか見せてくれると嬉しいな。…
子どもはいろんなファンタジーの中で大きくなる。夢やファンタジーの世界と現実の間を自由に行き来できる子ども。おとなは子ども達を通して、夢やファンタジーのカケラを、ふとした瞬間にもう一度楽しませてもらうことができるのかもしれない。 (大本)