PAST ACTIVITY
「明けましておめでとうございます」と言うには遅すぎるご挨拶ですが、今年最初の「セレニティ通信」は、何とか一月中に発行することができそうです(と言いつつも、ギリギリです)。年に4回がいつの間にか3回になり、時期もまちまちになってしまっています。それでも、読んでくださる方がいらっしゃることで、こうして何とか続けてくることができました。本当に皆さま、ありがとうございます。
先日、数年ぶりに会ったAさんに「久しぶり!元気でした?」と声をかけたら、「あら、そんなでしたか?いつも通信を読んでるし、ホームページも見てるので久しぶりの気がしないんですけど…。」と言われて、ああそういうこともあるのだと気づかされ、同時にとても嬉しかったです。「ああ、読んでくださっているんだ!」と思うと、何だか急に元気が出て、この嬉しい気持ちが次のステップへの励みになります。ほんのちょっとしたひとことが、とても大きな力を持っているものだなあと改めて思いました。
ということで、今年も「人や地域のつながり」そして「コミュニケーション」を大事にしながら、楽しくのびのび取り組んでいけたらと思っています。定例企画の「アサーション・トレーニング」「瞑想会」ともに、「セレニティのアサーション・トレーニング」「セレニティの瞑想会」として、ささやかですが、ゆっくりと充実した会として育ってきていることを実感しています。より多くの方にご参加いただければと願っています。
また、「今年、また変な企画して下さーい」という楽しい年賀状もいただきました。
「変な企画」大好き人間としては、さあ何ができるかしら、と腕まくりしてしまいます。
楽しい企画もできるようにがんばります。
深く考え込まずにいられない問題や、悲しいニュースも少なくありませんが、こんなときこそ身近にあるステキなことを一つでも二つでも見つけて、周りの人と分かち合い、広げていきたいものです。それは現実を見ないことではなく、現実を見るからこそ、その困難を乗り越える力を身の回りのステキなことの中に見いだしていきたいと思うのです。
ということで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとって、今年が良い年でありますように!
(セレニティ・カウンセリングルーム代表)
新年早々でしたが、一日かけて和やかで充実した研修会ができました。
「今こそ、手塩にかけた子育てを!」と心にたっぷり栄養を与えるための絵本の読み聞かせ、手作り教材の魅力など、一日かけて実習を通して学びました。掃除指導・工作やキャンドル作り・あやとりの紐を編みながらの「手塩研しゃべり場」などなど。
―【参加された先生の感想】―
●今日はありがとうございました。
平井先生の手塩研、ほっとした気持ちで、のんびりと、楽しく取り組むことができました。先生の貴重なお話や、資料、たくさんのお土産・・・
日頃は学校のことを考えると抱えている問題や出来事に、思い出したくないなとか、今考えたくないなと思っちゃうことも多いのですが、
手塩研の最中に、「あさってのスタート、楽しみだな!」と思う自分を発見。
前向きな自分になれてよかったです。
明日、バケツを買いに行きます。
なんという偶然! 1月~3月、我がクラスはトイレ担当なのです。
これは、もうやるしかないですね。
9日には、ろうそくも子どもたちに見せたいな。
●続き。
手塩研のこと、さっそく実践中です。
1月9日(月)に、クラスの子ども達に私の作品を見せびらかして(笑)
「やりた~い」ということになりました。
リサイクル・リユースを合い言葉に、クラス29人分の材料を持ち寄り中。
着々と材料が集まりつつあります。
お母さんが39歳の誕生日ということで、真ん中にたてるろうそくが一気に。
弟がもう使わなくなったからとたくさんの色の水彩絵の具が。
おばあちゃんにたのんで、お仏壇からもらってきたという白いろうそくが。
今週水曜日は色砂作り、来週水曜日は砂をグラスに入れ、
子供達テスト中に、ろうを入れる予定です。
結果はまた後ほど・・・・・
●続きの続き・・・・(現在クラスで集まったグラスの数、約15個)
水曜日、朝の15分間はクラスの時間
先週子供達と約束した、色砂作り。
チャック付きビニル袋に、作る色を書き添え、
塩1キログラムの3分の1ずつ入れ、
絵の具チューブを一本わたし、
さっそくスタート。
楽しそうにおしゃべりしながら、
塩の粒々を指先に感じながら、こねこね。
時間がきても、こねこね。
子供たちが、真顔で、
「先生、今日の1時間目は、色砂作りの授業をしたほうがいいと思うよ。」
「1時間目の国語始めるから・・・」と言ってもこねこね。
「来週、色砂をグラスに入れるのできないなぁ」とつぶやいたら、
さっさとお片付け。みんな正直です。
休み時間、袋のそばを通りがかる子供達が、
たのしそうに色砂の入った袋をこねこねしていました。
翌日、グラスの数25個。目標まであと4個。
(ぷちとまと)
●私には心を明るくしてくれるだ~い好きなバンドがいるのですが、長く休止していたそのバンドが活動を再開!大喜びでツアーの日程を調べ、チケットを買い、宿と新幹線、着ていく服も準備して出発!!もう、夢のようなひとときを過ごして帰りました。
しかし、一番嬉しかったのは、子供たちが「お母さんって行動力あるよねえ。」とほめてくれたことです。普段仕事で、食事の支度も満足にできていないうえに、家族を放っての好き勝手な行動を、そのように受け止めてくれる子供たちがいて、本当に幸せだと思います。?
(40代 女性)
●今年は東京で年末年始です。
大本さんのところは、小さいひと(暮らしの手帖的表現)が加わっての新年ですね
最近赤ちゃんが乳を飲む映像とか見ると懐かしいというか、もう一度授乳したいなぁとか思います(今のところ予定なし)
母乳を冷凍して、外国の孤児になった赤ちゃんに送るボランティアがあるそうですね。私は牛みたく乳が出て余りまくってたから、それを知ってたら貢献できたのに、と、残念。余ってた母乳は冷凍してましたが、Mは哺乳瓶では絶対飲まなかったので、貯まりまくって結局こっそりカレーに入れました(爆)
多分、三つ子とかでも大丈夫なくらい出てたなぁ~
夫は今、掃除してます。
私はだらだら… 。夜の蕎麦と明日の雑煮や煮しめ等の為に体力温存?
年が明けたら、バレエ発表会の猛練習が始まります(◎-◎;)
クラシックの基礎を知らないままここまで来てるからかなりやばいで~す
それでジゼルのバリエーション踊るなんて無謀な私で~す
よいお年を~ ( 弘子 )
●2007年7月21日、NGOピースボートが企画する地球一周の船旅に、ボランティアスタッフとして参加した。
参加するには、参加費用の、つまり船を出すための資金面での問題があったので、当時大学院に在籍していた僕は、1年間休学し、資金を両親から借り、また情報宣伝活動であるポスター貼りを行いながら、船賃を割引きし、この日出発することが出来た。
船旅を終えて日本に帰ってきたときまず感じたことは、公共交通機関のとても清潔な事だ。インドで乗車したバスには、窓はあるけれどガラスはない。入り口はあるけれど扉はない。ケニアでは、ワゴン車が共同タクシーとして使われている。つまり、目的地に向かう人、その途中で降りると思われる人が乗り合わせる。
このような交通機関を、日本で見たことがなかった僕はとても驚いた。
(J.O)
~ちょっと説明~
ピースボート(PEACEBOAT)とは、
… 「みんなが主役で船を出す」を合い言葉に集まった、好奇心と行動力いっぱいの若者達を中心に、アジアをはじめ地球の各地を訪れる国際交流の船旅をコーディネートしている非営利のNGOです。(ピースボートのホームページより)。
1回の船旅が約3ヶ月、O君の専門分野にも関連するパナマ運河で、彼は一日中船の出入りを見ていても飽きなかったとか。
今回O君の参加したピースボートの寄港地は次の通り。
ピースボートの訪問国(市) … 横浜港を出発→
・ベトナム(ダナン) ・シンガポール ・インド(コーチン) ・ケニア(モンバサ) ・エリトリア(マッサワ) ・エジプト(ポートサイド) ・トルコ(イスタンブール)・ギリシャ(ピレウス) ・クロアチア(ドブロブニク)・ボスニア・ヘルツェゴビナ(モスタル) ・イタリア(チビタベッキア)・スペイン(バルセロナ)
・モロッコ(カサブランカ) ・カナリア諸島(ラスパルマス)…スペイン領 ・ジャマイカ(モンテゴベイ)・コロンビア(カルタヘナ)・パナマ(クリストバル) ・グアテマラ(プエルトケツァル)・メキシコ(アカプルコ)・アメリカ(サンフランシスコ,ハワイ)
↓カサブランカ市街(モロッコ)
↓ハッサン2世モスク(モロッコ)
(O君撮影)
新年にあたり、私が98年にインド・コルカタで、マザーテレサの施設でボランティアしていた時に、マザーテレサの遺言から感銘を受け、気がつた内容を書かせていただきます。下記は、私の印象を基に書いたものです。
マザーテレサは36歳の時、カトリックのロレット教会が営む、ロレットスクールの校長先生をしていました。(インド・コルカタ・モティジル)
その頃のインドは、独立に伴うイスラム教徒とヒンドゥ教徒の居住地を巡る問題で、緊迫した対立紛争が激化していました。
その為、道路や鉄道などの交通機関が不安定な状態になり、インド人の移動や物流が滞る状態になりました。
シスターテレサが校長を勤める、ロレットスクールは寄宿学校でもあるため、職員のみならず生徒達に与える食料が、底をつきそうになりました。
その為シスターテレサは食料の調達のため、自らロレットスクールを出て現地の市場に出向いたそうです。
その時シスターテレサは見ました。あまりにも悲惨なスラムの現状をです。
飢えや病に苦しむ状態は、スクールの食糧不足の問題を遥かに超えた状態でした。スクール周辺のスラムのほとんどは、イスラム教徒の居住地でしたが、老若男女を問わず皆、飢えと渇きに苦しんでいました。
それを見たシスターテレサは、大きなショックを受けました。
それでも食料調達に奔走して、なんとかスクールの食料不足の問題を解決したそうです。スクールの問題は解決したとは言え、シスターテレサが受けたショックは解決しませんでした。そして
『あれを見た私は、何もしなくていいんだろうか……』
と自問自答し、苦しんだようです。
この生徒達の為に自分は、いくらでも働く事が出来る。
しかしスクールの塀の向こうに住む人達には、自分は何も出来ない。
あまりにも無力だ…。
あの人達はキリスト教徒でないから、何も出来ないんですか?
愛を施すという行為は、キリスト教徒の為のものですか?
愛する行為にも塀があるのですか?
あの人達に愛を施すのは罪ですか?
この問いかけは、カトリックでシスターになった時から培ってきた、シスターテレサとしてのアイデンティティの危機でもあったと思います。
それで自分の上司にあたる神父に色々相談したそうですが、カトリックのシスターとしては、なにも解決策が出てきませんでした。
ロレットスクールの生徒はキリスト教徒の家庭の子供達だったようですが、経済的にもスラムで暮らす人達に比べれば、裕福な家庭の部類に入るようです。
あまりにも思い悩むシスターテレサを見かねた神父は、ダージリンにある黙祷教会に行って祈り、答えを見つけるように薦めました。
そしてテレサはその薦めに従い、列車に乗ってダージリンに向かいました。
ダージリンに向かう列車の中にあっても、テレサの苦悶は胸の底から湧き上がり、車窓を流れる風景を眺めながら問い続けたようです。
その時、シスターテレサの目の前に、十字架にかけられたイエスが現れました。
その姿は栄光に満ちた救世主ではなく、あまりにも悲惨で、乾き苦しむ姿そのものでした。その目は虚ろで、じっとテレサを見つめていました。
そしてイエスは言いました。
「……私は……渇いて…います………」
その姿を見、そして聞いたテレサは、驚くとともに言いました。
「ああ…主よ。私は貴方に仕えます。
貴方の渇きを癒すのが私の務めなら、
私はそのようにさせて頂きます。」
これはテレサの決意を込めた申し出でした。
そう、自分はキリスト教に仕えるのではなく、渇きに苦しむ救世主に仕えるのだという決意でした。
この時、ロレット教会の中のシスターテレサのアイデンティティは崩壊し、愛に基づく人間マザーテレサのアイデンティティが再統合されたのだと思います。
『今見たイエス様の姿と貧しさで苦しむ人の姿に、何の違いがあるだろうか。
それに対する自分の行為に、何の違いがあるだろうか。
イエス様に仕えるように、私は最も貧しい人々に仕えるのだ。』
これがマザーテレサがロレットスクールを一人で出て、最も貧しい人達に仕えるという行為の始まりだったようです。ですからマザーテレサの教会ミッショナリーズ・オブ・チャリティ(Missionaries of Charity)のイエス像の横には必ず、
《 I thirst (私は渇いている)》と言う文字が書かれています。
これを知った時私は、2つの事に気がつきました。
1つは、マザーテレサが体験したようなアイデンティティの危機や崩壊、そして再統合というプロセスは誰でも体験する事だという事です。
人それぞれ誰でも、家庭の中でのアイデンティティや、学校や職場の中でのアイデンティティなどを抱いているものです。
ですがそのアイデンティティは、様々な場面で変化を強いられる事があり、
『自分はこのままで良いのか?』という不安と共に危機に直面します。
そして、これまでの自分と現在の環境を総監して、以前より一歩進んだアイデンティティを再統合しながら成長して行くのは、誰でも体験する事だと思いました。そう思ったら、マザーテレサをとても身近に感じました。
そして、この新しく再統合された自分に基づき第一歩を踏み出すのは、勇気と決意が必要ですが、それを生み出すのは愛という生命エネルギーだとも思いました。(無条件の愛です。)
そしてもう一つ気がついたのは、貧しい人々に仕えるという言葉のニュアンスから、慈善行為の落とし穴に気がつきました。
『自分は世の為、人の為に働いている』という思いが『自分は素晴らしい事をしている』という思いに繋がり、優越感や傲慢な気持ちを誘発させるのではないかという事です。その思いがそれ以外の人々との隔たりになり、塀を作ってしまうのが、慈善行為の落とし穴ではなかろうかと思いました。
ですから、見返りを求めない無条件の愛を基に、『これをさせて頂き有難うございます』という感謝の気持ちを込めるのが、その落とし穴に落ちない方法だと思いました。いずれにしても、謙虚な姿勢の大切さを再認識したという事です。
このアイデンティティ再生のプロセスは、個別のプロセスもそうですが、今の世の中を見ても、いたる所でアイデンティティの危機に瀕していると思います。国としてのアイデンティティ、文化のアイデンティティ、教育や医療現場でのアイデンティティなどです。
新しい年を迎えるにあたり、自分自身もこれらを構成する一人である事を自覚しながら、もう一度自分自身の在り方を見つめ直そうと思います。
(「マザーハウス(インド)」のボランティアを体験後、数年前までNPO法人
「レインボー・ホーム」孤児の家 駐在員としてコルカタに滞在、その後帰国。)
ある朝、大学の送迎バスに学生達と乗り合わせた。バスが大学に着く直前、空席の目立つ車内にコトンと音が響いた。ふと見ると、百円ライターが落ちている。拾い上げた学生に目をやって驚いた。この大学の学生にしては珍しい出で立ちだ。古着感覚の流行のファッション、腰に何重にも鎖を下げ、ツンツンの髪にピアス。地味な服装の学生が多い中、ひときわ目立つ。ファッション系かアート系の学校ならば違和感はないけれど…。
それから1時間ばかりして、相談室のドアがノックされた。ドアを開けると、学生がうなだれて立っている。
入ってきたのは、何と今朝のバスでライターを落とした彼ではないか!昼夜逆転の生活になってしまって起きられない、などと力なく語り始めた。
結果的に彼は、この日美容系の各種学校の試験を受けるという決意をして相談室を後にした。その後連絡もなく2ヶ月ほど過ぎた。試験結果を知らせるように言ったがその連絡もない。そこで、ある日こちらから電話を入れてみることにした。
10数回呼び出し音が鳴った後、ようやく出た電話の声は、午後3時だというのに寝ぼけている。
「相談室の大本です。試験結果の連絡がなかったけど、どうだったのかな?」
「え?あ、あああー?!覚えていてくれたんですかー?!」
「覚えてますよー(笑)、で、どうだった?」
「受かりました!」
「それはおめでとう!で、大学は?」
「やめることにしました。」
「もう学校に来てないの?」
「はい」
「で、また寝てたの?」
「はい」
「4月から、大丈夫かなあ?…」
「はい、それは大丈夫です!」
電話の声は明るく元気で、以前との大きな変化を感じた。4月からは得意の腕を活かして、はつらつと新しい学校に通うことを願った。昼夜逆転の大学生活で、唯一彼はあの奇抜なファッションの中で生き、自分を主張していたのかもしれない。
(大本)