PAST ACTIVITY
先日、柿畑の横を歩いていたら、面白い光景に出会いました。サッと黒い陰が頭上を通り過ぎたかと思うと、何とカラスが大きな柿の実を加えて私の目の前をワサワサと横切って飛んでいったのです。自分の頭くらいもある大きな朱い実をくわえたカラスが悠然と道路を渡っていく様は、何となく奇妙というかユーモラスな光景でした。 秋も深まってきた埼玉ですが、皆様のところはいかがですか?
さてこちらの近況ですが…、 いつの頃からかセレニティのホームページを毎朝チェックするのが私の日課になりました。というのも、掲示板に出会い系サイトの書き込みがされるようになったためです。もちろん表現の自由は最大限保証されるべきですが、出会い系サイトに対しては別です。性差別意識に満ちた露骨な表現で読む者に不快感を与え、しかもそうしたサイトが犯罪の温床と化していることへのみじんの反省もないのですから、即削除の方針です。 頻繁にチェックする煩わしさと不快感で、一時は掲示板の休止も考えましたが、それもまた悔しいので、根気強くチェックしては削除することにしました。聞くところによると、こうした書き込みのアルバイトまであるというのですからたまりません。こちらもそれなりに考えなくてはと思いました。
このことで改めて気づかされたのは、子どもや若者が日常的に、こうした危険と隣り合わせの情報攻勢に無抵抗にさらされているということです。おとなはまだ自分で身を守る方法も抵抗力も持っていますが、無防備でインターネット社会を生きて行かなくてはならない子どもや若者が、単に消費の対象として見られ、結果として心身共に犠牲となっているのは本当に悲しいことです。ものごとが何でも、より強い刺激を求めることのみに向かわされているような今の状況は、豊かな文化を育てるにはほど遠い状況といえるのではないでしょうか。
もっともっと、美しいもの、豊かな文化に触れる機会を次代を担う子どもや若者のために、私たちおとなが、本気になって創ってやらなくてはと痛切に思います。また、私たちおとなにとっても、美しいもの、豊かな気持ちにしてくれるものとのふれあいは不可欠です。こういう時代だからこそ、身近にある美しいもの…物でも、言葉でも、人でも、思想でも、…大事に大事に、楽しみ、慈しみ、守り、育てて、いきたいものと思います。それらは決して遠くにあるものではなく、ひょっとしたら私たちのごく身近に、日常の風景の中にあるもの、そんな気がします。
今年の春、戦争へと傾斜していく大国の状況を危ぶみ、世界中をインターネットなどを通じて、年齢を問わずに戦争回避のための多くの情報が行き交いました。そうした中、私大本からも皆様に、私の知り得た情報の提供や、ご協力のお願いをさせていただきました。皆様の中には受け取られて重い気持ちになられたり、もうたくさんと思った方もおいでだったかもしれません。そう思われた方には本当に申し訳なかったのですが、これも私たちが今できることを悔いなくやっていくためにはどうしたよいかという、試行錯誤のプロセスであったとお許しいただければ幸いです。
戦争のような悲惨な状況はある日突然にやってくるわけではありません。ものを言えるときに、言っておかなくてはと思います。行動できるときに、行動しなくてはとも思います。 とはいえ無理は禁物ですね。私たち一人ひとりが、自分に無理のない範囲でできることをやれればと思います。
同時に、元気になれること、楽しいこともやっていくのがセレニティ流ですから、楽しい企画も計画中です。来年はちょっと趣向を変えてライブなど、日頃そうした催しにあまり縁がないと言われる方々にもぜひ参加していただけるような企画ができたらいいなと思っています。それから「一人ひとり」の「身近なところから」ということから言えば、自分たちの住む土地、地域の暮らしや、人とのふれあい、そんなこともテーマにした催しを考えています。 できれば参加型のプログラムに、などといろいろ思いめぐらせています。
素敵なミュージシャンを皆様にご紹介できると思いますので、楽しみに、期待して待っていてくださいね!
こんな時代だからこそ、自前の、新鮮な喜びと幸せを、一緒に創っていきましょう!
インドに旅行した人は、「インドが好きになるか嫌いになるかだいたい2つに分かれる」とよく言います。 インドは暑くて汚くて病気が多くて貧しい国ですから、嫌いになる気持ちは良く分かります。 そしてインドに来てから1週間以内にはだいたいの人がお腹を壊します。 汗だくで散歩もままならない状態では『二度とインドには来るもんか!』と感じるのが当たり前でしょう。 私も初めて来た頃は、下痢と風邪で1週間くらい寝たきり状態でした。
しかし、インドを好きになる人も沢山います。 なぜ惹かれるのか、自分でもよく分からないようですが、なぜかもう一度来てみたい国といえばインドのようです。
私がインドに初めて惹かれたのは中学の頃で、お釈迦様の伝記小説を読んでから憧れの国になりました。 で、初めて来たのは34才の時ですから憧れを抱いてから20年後にインドに来たことになります。
確かにインドは汚くて暑くて病気が多いです。特にカルカッタは。 しかしだからといって嫌いにはなりませんでした。 そしてインドに滞在して通算3年ですが、その間「イヤだ!」「嫌いだ!」「大好きだ!」「魅力的だ!」とか、いろんな意見を聞いてきました。日本人はもちろん、フランス人やアメリカ人、イギリス人等からも。 それらを聞くにつけ、考えてみるに、好きになる理由の大半は、心の状態そのままをダイレクトに体感できる国だから好きになるのではないか !? と思うようになりました。 つまり暑ければ何もしないで日陰で休む。それが自然の成り行きで当たり前であり、それに逆らうのは不健康で不自然で基本的な生き方に反している。だから暑い昼間は昼寝して当然である!という常識になります。
しかし、先進国と言われる国々の人達は、「暑くても働くのが当たり前!働くべき時に休むのは経済的効果を減退させる。発展途上国の人々は先進国を見習いなさい!」と胸をはります。
ここで発展途上国の人々曰「だけどねお金持ちのみなさん。ワシャ休みたいよ。 休まないと気分が悪いんだ。 気分が悪いと鈍感になる。 鈍感になると自然の恵みに気が付かなくなる。 お金の恵みは減るかも知れないけど、自然の恵みは見失いたくないんだ。」
それで昼間のお休みタイム。 時間はだいたい1時から3時頃までです。 こんなゆったりとした時間を過ごしながら、気持ちを包み隠さず表現しながらコミュニケーションできる国、インド。その辺が惹かれる主な理由ではないでしょうか。
日本は経済大国であり急ピッチで物質的な豊かさを得るに至りましたが、バブルの頃から自分達は本当にこれで良いのか、と疑問を持ち始める人が多くなったと思います。 そして今バブルがはじけてからは、今までのやり方では良くないという事がハッキリし始めたのではないでしょうか?不自然だからです。 そうしたら先日、スローペースで生きる生活を経験できる宿が繁盛しているというニュースの記事を目にしました。 自然のサイクルはスローペースかも知れないけど、その方が幸せだろうし、豊かなのかも知れない。インドに惹かれる理由も、きっとこんなところにあるのだろうと思いました。(NPO法人「レインボー・ホーム」孤児の家カルカッタ駐在員)
アサーティブあるいはアサーション・トレーニングという言葉を聞いたことがおありだろうか。自己表現・自己主張などとも訳されているが、自分の気持ちや考えを率直に表現するコミュニケーションのトレーニングのことである。アサーティブとは相手も自分も尊重しながら、自分を率直に表現する態度である。ふだん私もトレーニングの講師を務めることがあるが、何気ない日常会話の中で、自分自身アサーティブでない対応をしてしまい反省することもしばしばである。それでも、十分でないながらも自分の気持ちを表現できたときの爽快感は何者にも代え難く、試行錯誤しながらも、よりうまく自分が表現できるようになりたいと思っている。
このことを巡って思い出される出来事がある。今年の春、元参議院議員の田嶋陽子さんが神奈川県知事選挙に立候補した。あの時の田嶋さんはまさに自分を表現するべきか否か大いに迷ったのではないかと思う。というのは、議員になっても思ったような活躍ができないことに悩んでいると聞いていたし、私自身幾度となく国会に足を運んだことがあるが、国会はまるで一般人とかけ離れたような感覚の場所で、ある意味で感情を鈍磨させないとやっていけない所だと感じていたからだ。。
そうした葛藤のあげく、田嶋さんは知事選に立候補することで議員を辞職、突然任期半ばの辞職で無責任と非難され、選挙には落選し、「偉い、よくやった!」という人よりも、「なんで?何考えてるの?」と評価を下す人の方が多かったような気がする。 しかし当時の田嶋さんは落選しても落ち込んではいなかったし、むしろ晴れ晴れとした気分さえ感じられた。余人には計り知れない苦渋の選択だったと思うが、同時に、その後の満足感にも似たすがすがしさが感じられたのはなぜだろう。 人が決意して行動することの重さと、自分の気持ちを表現することの大切さについて思う。私だったら似たような場面でどのように振る舞っただろうと、考えさせられる出来事だった。
少し遡ってお話しすると…。 田嶋さんには、3年前、3市合併のさいたま市長選挙に立候補を要請したことがあった。それがきっかけでお話しするようになり、折に触れ大事な情報は交換するようにしていた。しかし、今回の知事選の立候補は私にも寝耳に水のできごとだった。 あの日(立候補の記者会見の日)はたまたま、内閣委員会で田嶋さんが質問するので傍聴に行くつもりで準備していた。折しも、イラク戦争開始後で悲惨な現地の様子を伝える画像がインターネットに掲載され、一方ではアメリカを支援する日本政府に抗議しても無力感にさいなまれる日々。私はいても立ってもいられず田嶋さんを通じて少しでも市民の声が国会に届けばと思い、クラスター爆弾で頭部を吹き飛ばされた少年の画像をプリントアウトし(プリントアウトすること自体とても辛かった。今思い出しても胸が締めつけられる。)、小泉首相あてのメッセージと共に届けようと思い事務所を出た。
ところが駅に着くと電車は20分待ち。委員会の開始に間に合わない。急遽、コンビニに飛び込んで画像と私のメッセージを田嶋さんの事務所宛にファクスし、電車に乗る。(田嶋さんはその日の質問の冒頭で、イラク戦争に対する政府の対応に路線変更を要請する意見を述べたと、あとで聞いた。その中で「大本さんのファクスの内容も」伝えておいたからね。」とのことだった。)
田嶋国会事務所に傍聴券をもらいに行くと(委員会の傍聴は議員の紹介がないと入れないので)、なんだかいつにもまして事務所の中がせわしない。入り口で挨拶もそこそこに秘書の方から傍聴券を受け取って委員会室に向かおうとすると、秘書さんから「大本さんコレ」と手渡されたチラシ。「ありがとう」と受け取って階段を下りながら目を通してビックリ!「田嶋陽子が神奈川県知事選に立候補」の文字。あわてて引き返し、「え、これ、急に決まったの?」 「そうなんです」のさりげないスタッフの返事。
「えーーーっ!」と思いながらも、委員会室に急ぐ(国会は何回来ても迷路のようで、方向音痴の私はいつも守衛さんに案内してもらうことになる)。ロッカーに荷物を預け、スカーフもはずしてくださいと言われ(守衛が二人でスカーフOKかどうかで相談、コレならいいだろう、イヤだめだ、…よくわからない基準=この種のことが国会にはいっぱい)、内閣委員会の部屋に入る。すでに田嶋さんの質問は始まっていた。
田嶋さんはこの直後に知事選立候補の記者会見(自動的に国会議員失職)というのに、最後の最後まで質問に手抜きはない。調査したことの説明と質問はいつも通り的確で力強い。こういう一生懸命さ、律儀さは田嶋さんらしい。 (翌日に、継続して内閣委員会が開かれ、そこでの質問を議員の最終の仕事にして、国会事務所を畳むこととなったようだ。後日、国会での2年間の仕事の報告をまとめた印刷物が送られてきたのは支持者に対する丁寧な対応だった。)
その日の内閣委員会は、田嶋さんが公約に掲げ、一貫して取り組んできた従軍慰安婦への謝罪と補償の問題だった。政府が何度要求しても出てこなかった資料が、田嶋さんたちが根気よく地元の市民団体を通じて交渉した結果、資料を出してもらえることになり、それにより事実の裏付けができるようになったそうだ。 やはり通り一遍の交渉ではダメで、気持ちの交流があって初めて、交渉もうまくいくものだとあたりまえのことながら納得できた。
田嶋さんの質問終了後、一緒に事務所に戻り、記者会見のための準備の合間を縫って、短い会話を交わした。 田嶋さん曰く。(政治への傾斜は)「大本さんに火をつけられたんだからね」 大本「だから、国会議員じゃなくて首長のほうがいいって言ったでしょ」 「だって、あの時は決心がつかなかったんだもの」…(私も遠慮してもう一押しできなかったしね…大本の心の声)、 「大本さんにも(今度の選挙)手伝ってほしいんだ……(田嶋さん、うつむいて、机の引き出しをかき回しながら、小声で、)」 私、それとなく聞き流して「私、神奈川出身なのよ。早く言ってくれれば何かできたかもしれないけど……」 「え、そう!?神奈川なの!?」 その間も電話が掛かり、人の出入りが激しくなり、時間のチェックの声。そんなこんなで田嶋さんは記者会見場へ。
<選挙戦の最中> 田嶋さんの選挙の演説の中で新鮮だったのは「知事選への立候補は、今までの人生の中で、初めて自分で決めたことだった。」というところ。大学教員もテレビタックルも、自然の流れや、人に請われてという理由で、気がつくとそこにいたという感じだった。今度は本当に自分の意志で決めたことだったと言われたのがとても新鮮に響いた。
この言葉にいろいろな反論や批判をすることはたやすい。けれど、一人の人間が自分の進路を自分自身で決めたことは、そのこと自体に侵しがたい重みがある。他者には伺い知ることのできない葛藤や苦渋の果てにたった一つの選択をすること、どんな非難もすべて自分で引き受けてなおかつ「これが自分の選択だ」と選ぶこと、その潔さは気持ちよい。何の気持ちの負担も、後悔もないに違いない。
国会議員という要職にあってなお、こうした選択をすることは並大抵のことではない。「国会議員の任期を全うすべき」「最初から政党の拘束があることは認識しておくべき」等々の批判は当然あるが、ここで重要なのはその選択の是非ではない。ここで私が言いたいのは、自分で選び誰のせいにもしない、自分で選ぶ決断の大切さについてだ。いつどんなときもそうした選択ができるということは並大抵のことではないだろう。
<選挙後> 選挙後、田嶋さんの気持ちを尋ねたら、 「力を落とさないでってみんな言ってくれるんだけど、(こんなこと大きな声じゃ言えないけど、)ホントは私すごーくさっぱりしちゃって、なあんにも落ち込んでなんかいないの。爽やかだね。」と。 大本(やっぱりね。)「そうじゃないかと思ったわ。でも、突然の出馬だったから本当にビックリした!誰にも相談しなかったの?」 「友達にはね。親には報告だけ。」(下記・注)
私には国会という、個人のエネルギーがブラックホールのように吸い取られる場から、自分の気持ちを大事にするために行動するには、田嶋さんほどのエネルギーの持ち主でも選挙に打って出るくらいの大きなことをやるしか他に方法がなかったような気がする。 いずれにしても自分の気持ちを表すことは、時に大変な決断を必要とすることもあるということを田嶋さんを通して身をもって体験した気がする。 田嶋さんには、ふさわしい活躍の場に早く出会って、女性の表現の具体化に刺激を与えてほしいと切に願っている。
田嶋さん、これからも刺激的でいてくださいね。 「え、もう、ヤダよ。そんな役回りばっかり…。」 「それよりゆっくりしたいよ。」なんてことはないですよね。 これからです、女性の出番は!ネ、女性の皆さん?!
〈注〉 <後日談> 相談できるものならしたかったけど、相談すれば結果がついてくるので下手に相談できなかった。相談すれば「あと5年待ったら」とか、反対されるのはわかっていた。 無所属になると発言のチャンスはうんと減り、政党助成金などもビタ一文こなくなるので、力が使えなくなる。会派をつくってどこかの党に所属すれば別だが、そうしたい党はなかった。国税で給与をもらいながら国会議員として思いのままに成果を上げられない状態にいることが耐えられなかったとのこと。 その結果、相談する必要のないほど気持ちは決まっていたのではないかと思う。
●私も女性の力を軸に何らかの活動が出来たら、新しい風が吹くかもしれないと思います。でも男と同じようなやり方だったら同じような事の繰り返しだと思いますので、違う何かですよね。何はともあれ頑張って下さい。 (30代男性…海外より)
●〈略〉 ところで、従来、アサーション・トレーニングが女性を中心に行われてきた背景があることを伺いましたが、これからは男性にも必要ではないかと思います。と申しますのは、男性の社会では身分や地位の上下関係がはっきりしていますし、しかも、「男は寡黙であるべき」という古い考えから、男性にとっても自己主張しづらい環境だからです。
世間一般では、男がベラベラ喋ると「女みたい」と思われるように、男だからといって何でも自由に言えるわけではありません。したがって、アサーション・トレーニングが男性の間にも広まることを、切に願っております。
余談になりますが、教育現場においても「自己主張能力」を鍛えさせるために「ディベート」教育が積極的に行われていますが、私はこれがあまり好きではありません。なぜなら、ディベートは相手の主張を否定するため、そこからは他者との共感的関係が生まれないからです。
それと比べ、アサーション・トレーニングは一人ひとりが大切にされる、云わば「分かちあい」的であって、私はこれを大変気に入りました。今後、アサーション・トレーニングを教育にも活かしていきたいと思います。(20代男性/教師)
●(参加当初)、父親として呼ばれて、それまでの流れもわからない状態でグループに入ることに最初は抵抗感を感じました。「母親の立場をもっと理解するべき」等の要求を提示されるのだろうかと考えたり、不安を感じながら参加しました。
(最近は)他の家族の主婦・親子の問題と自分の家庭の問題の共通の課題が見えるようになってきました。それに伴って、家庭の中しか見えていなかったのが、視野が広がってきて学校・会社・社会全体の問題としての視点から見ることもできるようになってきました。「我が家だけの問題」として抱えこまなくなったことで負担が軽くなり、以前よりも問題を「成長のための機会」として肯定的にとらえることができるようになったと思います。(30代)
●うちの妻を含めて、女性は子どもの細かな変化まで観察しているのに改めて感心しました。私はいつも子どもと一緒にいますが、むしろ細かいところは見ないようにしている方がいいものだと思っていました。 今は子どもの細かい変化には注意しています。しかし、あまり手や口を出さないように努力しています。つまり父親の役目は子どもを放っておくのではなく、見守ってやるのが一番大切なのだと思います。(40代)