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「男女共同参画社会について考えてみよう」M.S
セレニティ通信の読者の中で、男女共同参画社会という言葉をお聞きになったことのない方は、いらっしゃらないでしょう。
この言葉は、平成11年に制定された男女共同参画基本法から生まれた言葉だそうです。私は身近な体験を通して、これからの日本の行く末を思ったとき、この男女共同参画基本法が守られていくことがいかに大切かと言うことを、改めて感じるようになりました。
私の妻は、この法律を母体として生まれた「**県男女共同参画推進条例」の公正な運用を、制定者である**県に拒まれ続け、かれこれ2年近くも経っております。私がこの間に体験したことの一部をお伝えし、皆様にも男女共同参画社会という言葉について、一緒に考えていただければと思います。
男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法は、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、1979年12月に国連総会により採択され、1981年9月に効力が発生した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」が大本となっています。(この条約は通称「女性差別撤廃条約」と言われ、私も公定訳の「女子」という言葉が、あまり適切ではないと考えておりますので、以後「女性差別撤廃条約」という通称を使います。)
● 「女性差別撤廃条約」
この条約は、国連加盟国192カ国中、2008年2月現在で185カ国が批准しているほど、世界では当たり前の条約です。一般に、条約とは、学説や政府の解釈では、「憲法よりも下位ではあるが、それ以外の法律よりは上位にある」そうです。つまり、法治国家である日本にとっては、憲法の次に重要な法律であり、非常に強い効力を発揮すべきものということになります。
私は、男女を問わず是非一度、すべての人に女性差別撤廃条約を読んで頂きたいと思います。今は、インターネットでも簡単に検索出来ますが、前文と全6部から成る30条の条約です。30条と言っても、16条までが実質的な部分ですから、たいして長い文章ではありません。しかし、私はこれを読んで大きな感銘を受けました。
実効性のある法律にするために、想定される全ての逃げ道を断とうとする強い意志、そして条約を作った先人たちの血の滲むような努力が伝わる文章です。
たとえば、その前文において「社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要であることを認識し、」と書かれています。このことは、慣習による男女の役割分担に対して、その慣習から成る行動様式自体の変更を要求しているのです。つまり、未だに「女性らしさ」などという表現で、性別に基づく行動様式を規定しようとする不勉強な議員や評論家がおりますが、こんなことを言うこと自体、民法より上位にくる法律(条約)に反していることになるのです。
また、この条約は、女性に対する直接差別だけでなく、間接差別に対しても、差別として定義しているのです。つまり、日本では結婚して9割以上の女性が、男性の氏を名乗りますが、条約ではこのような慣行も間接差別であり、このような社会背景も是正する必要があるとしています。
先に、私の妻が、**県男女共同参画推進条例の公正な運用を巡って、制定者である**県に拒まれ続けている話をしましたが、この件は私たちの住んでいる現在の日本を象徴しているできごとだと思いますので、少しだけお話しさせて下さい。
紙面の都合上、事案の中身についてはあまり触れませんが、
特に問題だと思う点に絞ってご説明します。
●「うるさい黙れ!」
今では、大半の県で男女共同参画推進条例が制定されています。私どもが住んでいる**県にも「**県男女共同参画推進条例」があり、それに基づき、専門委員からなる「男女共同参画苦情処理制度」というものがあります。これは、県が実施する男女共同参画の推進に関する施策についての苦情や要望について、申し出ができる制度です。
妻は、不動産鑑定士という資格を持って仕事をしており、知事認可の公益法人である資格者団体に所属しておりますが、当該団体主催の会議の席上で、発言しようとした際に、唐突に男性会員から「うるさい黙れ!」と大声で言葉を浴びせられ、激しいショックを受けました。
妻は、このようなことが繰り返されてはならないと思い、当然ながら所属団体に申し入れを行いましたが、団体は全く適切な処置をとらず、容認する姿勢まで見せる始末でした。
このような行為が、「○○○男女共同参画プラン」という県の施策に抵触することから、所属団体の主管である**県に対し、**県男女共同参画推進条例に基づいて所属団体を適切に指導するよう申し入れを行いました。
ところが、主管である**県は団体側だけに聞き取りをして、その主張を鵜呑みにし、妻には何も聞かずに、適切な対応を全くしませんでした。
● 苦情を受けつけない「苦情処理制度」
そこで、男女共同参画苦情処理制度を適用して、苦情を訴えたところ、こともあろうに専門委員から成る審議会も開かず、専門委員でもない県が、「(条例は)個々の案件については対象としておりません」という自己矛盾した理由で、苦情処理制度の適用を拒否したのです。
<説明>【女性差別撤廃条約は、個人や団体、企業に対しても適正な措置をとることを規定しています。これは、実際の社会では、個人や団体等を指導できなくては、実効性がないからです。当然、**県男女共同参画推進条例では、団体等の個々の事業者に対して、個別に男女共同参画に対する助言その他の必要な措置等ができることになっています。】
●「選択議定書」
悲しいことですが、これが栃木県の現状です。
現在日本は、女性差別撤廃条約は批准しているものの、同条約に実質的な効果を付与する「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の選択議定書(通称:選択議定書)」は批准していません。
この選択議定書というのは、1999年10月に国連で採択されたもので、国連への個人通報制度を含んでいます。従って、国内で解決がつかない場合には、国連で審議がされるというものです。2008年12月現在で96カ国が批准しており、残念なことに先進国で批准していないのは、日本とアメリカだけです。しかし、アメリカは、オバマ大統領が選択議定書の批准を選挙公約に掲げていたことから、このままでは日本だけが批准しないという状況になってしまいます。本当に恥ずかしい限りです。
つい先日(2009年7月24日)、国連本部で女性差別撤廃委員会が開かれ、日本における女性差別の現状について審査された記事が朝日新聞の夕刊に載っていました。それによると、委員からは選択議定書を早期に批准するよう要望が出たそうですが、日本側は「検討中」と述べるにとどまったそうです。その際、ある委員から「日本では、(法的な拘束力を持つ)条約が単なる宣言としか受け取られていないのではないか」と批判する意見が出たそうです。
まさに、この委員の言葉こそ、法治国家としての日本の現状と、今後とるべき道について的確に表現していると言えるでしょう。法治国家とは、明文化された法律によって運営される国のことです。法治国家ならば、「女性差別撤廃条約」という憲法の次に重要な法律の意義が、もっと意識されてよいのではないかと思うのです。
●「仕方がない」?
私は、先ほど「悲しいことですが、これが**県の現状です。」と書きましたが、これは本心ではありません。本当は、非常に怒っております。テレビのインタビューなど見ていると、いろんな不正に対して、「仕方がない」とか、「悲しい現実です」とかのんきなことを言っている人がいます。しかし、法治国家に生きる人間として、法の下の平等を侵害された時に、他人事のようにのんきにしていては、決していけません。きちっと怒って意見を表明しなければならないのです。そうでなければ、主権在民ではなくなるからです。
私は、たまたま妻の戦いを通して、女性差別の現状に一緒に立ち向かうことになりましたが、改めて「女性差別」について考えさせられ、同時に現状を変える難しさにも直面しました。もし女性差別の問題に興味のある方は、私が読んだ範囲ですが、以下の2冊を紹介致しますので、読んでみて下さい。数ある本の中でも特に参考になる本だと思います。
■新版 女性の権利 -ハンドブック 女性差別撤廃条約-
赤松良子監修 国際女性の地位協会編 岩波ジュニア新書
■ジェンダー・スタディーズ 女性学・男性学を学ぶ
牟田 和恵 編 大阪大学出版会
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