PAST ACTIVITY
「セレニティ通信号外」を読んで、読者のお一人から次のような温かい感想を頂きました。ありがとうございます。K.S さんからのメールも併せて掲載します。「号外」を作ったことで、私自身多くのことを教えられました。そして勇気をもらいました。今まで以上に、セレニティのキーワード「女性・子育て・教育」を意識して歩みたいと思います。(大本)
先日、地元社会福祉協議会の会報「社協だより」の施設探訪記という欄を担当している関係から地元の福祉施設など訪問して紹介しています。今回はちょっと趣を変え、地元で唯一の大学である金城女子短期大学も福祉活動をやっているとのことで訪問してきました。 初めて大学教授の研究室というところを訪問したわけですが、思ったほどごみごみした感じはなく、きちんと整理された書斎と応接室を併せたような感じの部屋でインタビューをしてきました。
来意の目的を告げてテーブルに着いたのですが、そこで先生が全く、ぶきっちょな手つきでお茶を入れてくれました。そこに大学のボランティア・グループの代表として女子大生も同席していましたが別に手伝うふうでもなく、ましてやお茶を入れることもなく、その場で眺めているだけでした。
ひと昔前だったら大学の教授といえば、ひげを蓄えハイカラーのシャツに威厳を正しているというイメージがありました。教授がお茶汲みなんて、とても、とても……。
時代も変わったものだなーと感じました。そういえば以前、月に1度、京都医療少年院の少年たちのグループセラーピーにお伺いしていましたが、その時もセラピーが終わって担当の先生の部屋で一服するのが習慣になっていましたが、ここでも担当職員(男性刑務官)が、ぎこちない手つきでお茶を出してくれていました。
昔からお茶汲みは女のやることという習慣が決まっていましたが、やはり時代の趨勢といいましょうか、お茶汲みを女性がやるものだという意識がなくなってきたということです。でもそれは決して男性が女性の人権を尊重してきたからではありません。先輩の女性たちが戦いとってきたものです。
戦後、日本で著しく変わったものといえば、やはり「男女同権」ということではないでしょうか。選挙権が女性に与えられ法律的には男女差別はなくなったとはいえ、生活のあらゆる面で依然として差別されている現状だと思います。
何事にも言えることですが法律で被差別者に人権が与えられたからといって、差別がなくなるものではありません。これこそ「意識」の問題です。
男性側から言えばお茶汲みは当然女のやることだという意識がある間は、いくら法律で「お茶汲み女性禁止令」を発令したところで変わるものではありません。女性自身がその都度、男性に声を上げて意識を変える戦いを続けることです。 私の友人に(といっても孫娘に当たるくらいの年齢ですが)九州のキリスト教系大学で法律を教えている先生がいます。彼女と知り合ったきっかけはタイの児童買春阻止する会のスタディーツアーでした。その後、彼女はタイで一番権威のあるチュラロンコン大学にタイの法律を学ぶため留学しました。
その理由は人身売買がタイの法律でどうなっているのかを調べるためでした。その大学に彼女を訪ねた時、緑の木立の校庭のベンチで語った事は、タイ人の同級生から「何故タイに法律を学びに来たのか」と質問された時、彼女は「人身売買を法律で救うことは出来ないのかということを勉強に来た」と答えたそうです。
ところが「タイには、人身売買などない」と冷たく言われたそうです。大学へ入るくらいの家庭は、みな裕福な子女です。裕福な故にそんなことは知らないのか、それとも国辱的だということで否定したのかわかりませんが、留学中冷たい扱いを受けたということです。 結局、法律があっても法律では人身売買はなくならないことを彼女は悟ったのです。私は以前、京都でアルコール・薬物の依存症回復施設を立ち上げ、12年間依存症の人たちのために尽くしてきました。当時一般人は女性がアル中になるという事を知らない人が大勢いました。それこそ「女の癖に」「女だてらに酒なんか食らいやがって」という意識が世間一般の人たちの中にあって、回復後も社会で生きることが容易ではありませんでした。
勿論、離婚となれば子供の親権は男性側に取られるケースが当たり前でしたから、回復しても子供と会えないために起きる悲劇にも、たびたび遭遇してきました。(子どもに会えないため悲観して自殺したケースもありました)
今、名古屋というよりも愛知県下でもっとも有名な障害者の福祉施設AJUの設立者であり代表者のY氏は、ことあるごとに地下鉄のバリア・フリーでないことを、駅員にいちゃもんをつけ、しょっちゅう困らせたということでした。今では名古屋の地下鉄も、車椅子の人たちが安心して行けるようになったと述懐しています。やはり声を上げる事が大切です。
私は年寄りのせいか夜中あまり眠れませんが楽しみです。NHKの教育テレビが深夜までやっています。高校講座で世界史を見ることが楽しみになっています。世界史を勉強するならアフリカ史を勉強するのも同じだと思います。
アフリカ大陸は昔、国境線は直線で引かれているところが多くありました。今、見ると殆ど直線の国境線がなくなっています。ヨーロッパの領土だった自分たちの国をアフリカ人が奪い返したのです。宗主国から独立を与えられたものではありません。
私が生まれた1934年にはアメリカ合衆国には、まだまだ厳然と黒人差別の法律が生きていました。その差別の激しかったアメリカでも黒人の大統領が誕生したのです。
しかしその陰には並大抵の犠牲ではなかったと思います。キング牧師やその他の黒人が迫害を恐れず差別撤廃の声を上げ続けた結果が大統領を誕生させたのです。
今回のK.S&M・S夫妻が言われる「男女共同参画推進条例」がいくら整備されたからといって「うるさい、黙れ!」がなくなるわけではありません。意識改革には長い年月がかかります。苦情制度があっても苦情係の意識が「男女平等……」の意識がなければ腰を上げようとはしません。然しだからといって、あなたたちの声を上げた事は決して無駄にはなっていません。間違いなく男女差別の意識改革の「種」は蒔かれたのです。
私がこの法律(男女共同参画推進……)に目覚めたきっかけは昨年名古屋の男女共同推進センターで上映された認知症の映画「折り梅」を作った映画監督松井久子さんの第2作目の映画(ちょっと題名は忘れましたが)を見た、上映後の松井監督のお話がキッカケでした。
監督は「折り梅」を作って評判になったことから第2作目の映画を作る羽目になってしまったということです。イザ映画を作る段になって現場に出向いて震え上がったそうです。
映画を製作するスタッフは、それこそいろいろな職種の大勢の人の協力で作られるものです。その人たちは今まで長い間、映画制作に携わってきたベテランぞろいです。それだけに職人根性というかプライドも並み大抵なものではありません。
そんな環境の中に映画作りには、ど素人、しかも女性という立場で映画作りの現場に放り込まれるように飛び込んだわけです。
案の定、精一杯しごかれ、いじめられたそうです。それこそ「女の癖に・女だてらに・素人の分際で………」然し松井さんは、へこたれませんでした。「なにくそ!今に見ていろ!………」ここで、なめられたら百年目という気構えで頑張ったそうです。
その頑張りと熱意に段々とほだされて映画職人の心を動かし、遂には一致協力してくれるようになったということでした。
いままで男女共同参画推進という法律のあることは知ってはいましたがそれまでは本当に関心はありませんでした。この監督のお話を聞いて、はじめて男女共同参画推進に興味を持つようになりました。今、アメリカで著名な彫刻家イサム・ノグチのお母さん(お母さんが偉かったそうです)の映画を製作中だという事です。出来たら、是非見に行きたいと思っています。
「今のところ、当該の誰からも、一言の謝罪も、誠意ある対応もないそうですが、たとえそうであっても『種』は確実に蒔かれたと感じています。」…………末尾に書かれた大本先生の言葉は間違いなく私もそう確信します。このご夫妻に心からエールを送ります。
(ほっこり庵曲臍)
「セレニティ通信号外」を読まれた方からの熱い感想を受け取りました。70代の男性の方は、私にとっては川の対岸に位置している方が大半と思っておりました。… 驚きました。そして、読み進むうちに、体中が武者震いし、目頭が熱くなりました。「無駄ではなかった」という言葉も私の中から生じました。その日一日は、気分が高揚し、私の頭の中はなにがなんだか判らない状態でした。
「井の中の蛙」とは、私のことだと思います。そして、「続けること」、それが本当に大切なのだとほっこり庵さんから教えていただいた気がします。これからの私の合い言葉は「こんてぃにゅ-」です。焦らず、よろけず、真っ直ぐ、亀のようにゆっくりと前へ進みます。今私が生きているこの地球全部に感謝します。ありがとうございました。(K.S)